大正元年八月三日発行の「ホトトギス」第十五巻第十一号から第十六巻第五号までの七回にわたって、盛助はロシアの作家であるメレシュコフスキーの作品である「神々の復活」を翻訳、『レオナールド・ダ・ヴィンチ』という題で発表しています。
メレシュコフスキー作「神々の復活」は、ルネッサンス時代のイタリアを舞台にしたお話で、中心人物としてレオナルド・ダ・ヴィンチと、彼の周辺の人物が登場します。「神々の復活」が英訳されたときのタイトルが「レオナルド・ダヴィンチ」であったことから、盛助もこのタイトルを採用したものと思われます。
本来の作品は、全九章から構成されています。「ホトトギス」に盛助の翻訳が発表されたのは、第一章「眞白な女悪魔」、第二章「ECCEDEUS-ECCEHOMO」、第三章「毒の果実」の三章のみで、第四章以降の作品については掲載されていません。第四章の「魔女とカサンドラ」については、「ホトトギス」に掲載される一年以上前の明治四十四年に、「ツボミ」という地域雑誌に掲載されたと蓜島氏により指摘されています。(蓜島亘・著「ロシア文学翻訳者列伝」)第五章以降の翻訳については、その翻訳原稿や掲載雑誌などが確認されていないため、全体の翻訳を完了したのかどうかは不明です。
この「レオナールド・ダ・ヴィンチ」が、メレシュコフスキーの歴史三部作の一つであることは、第十九回(平成二十三年八月号)で「背教者ジウリアノ」を紹介した際に、原題が「神々の死」であることと共にお伝えしました。
メレシュコフスキーの歴史三部作の3つ目は、「ピョートル大帝と皇太子アレクセイ」というもので、「反キリスト」という題もついているようです。この三部作全てを日本語に翻訳したもので、今の私たちが読むことのできるものは、米川正夫氏の翻訳だけのようです。この米川氏の翻訳を参照して三部作の構成を確認すると、「神々の死」では古代ローマ・ギリシアでのキリスト教の広まりを、「神々の復活」では形骸化したキリスト教支配下における反発を、「反キリスト」では国教としてのキリスト教支配をテーマに歴史が語られているようです。
この三部作は、メレシュコフスキーの博学を示すものといわれていますが、それだけに、翻訳そのものの言葉の選択の難しさだけでなく、作品の時代背景、人物や事件などの関係など把握しなければならないことが多く、翻訳作業は大変であったろうと想像できます。夏目漱石をはじめ、当時の知識人の間でさかんに読まれていたそうですが、翻訳出版されたものが少なく、特に、三部作揃っての刊行物がほとんど無いところに、その苦労を想像してしまうのです。
盛助も、二作品については着手しましたが、完成、あるいは発表にまで至らなかったのには何らかの理由がありそうですね。今後の調査課題がまた一つ増えたようです。