第32回 作品紹介(16)『塔』

前回ご紹介した「レオナールド・ダ・ヴィンチ」の翻訳と同時進行で執筆したのでしょうか。盛助は、大正二年二月一日発行の「帝国文学」第十九巻第二号に、小説『塔』を発表しました。
主人公の名は、永子。女性です。そして、他の登場人物としては、幼い頃に許婚となったものの、兄の強行な反対により破約となった相手の順之助という男性が登場します。
冒頭は、永子と順之助の乗る小舟が、黄色や白色の水草の花が咲き埋めた水面を押し分けながら進むシーンから始まります。永子の弟や妹など六、七人の人数で舟遊びに出かけ、二、三人ずつに分かれて舟に乗り、一里ばかり先にある弁財天の祠で落ち合うことに決めたところで、永子は他の弟や妹と一緒ではなく、順之助と二人で舟に乗りました。舟の上では、順之助が睡蓮の花を採り集めて花輪を作り永子の首にかけると、永子はそのお礼として、別の種類の水草の花を採り順之助の帽子に挿しました。この子どもっぽいやり取りに、一瞬、男女間に生じる感情のようなものを意識したものの、自身が順之助に対してはそういう感情を持ち得ないと、改めて感じるのでした。
順之助との破約は、大学に入ったばかりで死んでしまった兄によるものでした。その後、順之助は結婚し、子どもを二人設けたようですが、破約以来久方ぶりに会った順之助に対し、良人になっていたことを想像したときに、永子は「眉を顰(ひそ)めた。」だけでした。永子は、順之助と破約しただけではなく、決まりかけた洋行の話が、父がなくなったことにより毀れるなど、男性に左右され、自分の意思や希望が思うように行かないことに口惜しさやみじめさを感じていたのでした。
それから三日ばかりたった晩のこと、永子と順之助の姿が新橋駅にありました。永子が「どこか遠い所へ行こう。」と順之助を誘ったことによるものでした。行き先も何も、偶然の思い付きにより行動しようと思った永子は、そうでありながら、自ら誘った行為に対して恐ろしい罪を犯しているのではないか、順之助が自分を弄ぼうとしているのではないかなど、さまざまな感情がわき、悶々とします。
下関行きの夜行列車に乗り、二人が向かったのは大阪でした。「賑やかなところに行きたい」という永子の希望で、天王寺のルナパークに向かった二人は、無数の光が放つイルミネーションや、高い塔の露台から空中を行くゴンドラといった夢のような世界で、少し距離感を縮めたかのように思われました。しかし、ルナパークで感じた順之助に対する感情は、宿屋に戻ったときにはまったく消え失せてしまったのでした。翌日、四天王寺の五重塔を見上げていると、この夏に、その塔から男女が身を投げて心中したことがあったと聞きます。「奇抜なことをする人がいる。」といって順之助は笑いましたが、永子は引き入れられるような、いつ慰められようとも思えない寂しさを感じるのでした。
この小説に出てくるルナパークとは、明治四十五年に開業した大阪の遊園地で、ゴンドラとはルナパークの中にあった塔と、初代通天閣(現在のものは二代目。)。を結んで設置されていたロープウェイのゴンドラであると思われます。ルナパークの跡地は、現在は新世界と呼ばれ、大阪を代表する観光地の一つとなっています。