第33回 作品紹介(17)『村の寶(たから)』

大正七年十二月、苳三(盛助)唯一の童話が世に送り出されました。掲載されたのは、「赤い鳥」第一巻第六号で、作品のタイトルは『村の寶』というものでした。
大きな山に囲まれたため、生まれてから死ぬまで自分の村以外の人を見ないことも珍しい、そんな村に、大変みすぼらしい身なりで空腹の、一人の旅人がやってきます。家の戸を叩いては一夜の宿や食べ物を乞いますが、この村の人々はがめつく邪険な人ばかりでしたので、剣もほろろに断られるばかりか、脅され、あげくには石を投げられたり熊のような犬をけしかけられたりする有様でした。そこに、村唯一の正直なよいおじいさんが通りがかり、旅人を助けた上に、自分の家に連れ帰りました。喜んだ旅人は一つの徳利を取り出します。振るとお酒やごちそう、きれいな着物などなんでも出てくるこの不思議な徳利を残して、翌日の朝、旅人は姿を消しました。徳利のおかげで生活が豊かになったおじいさんを、村の人達がほっておくわけもなく、その徳利を村全体の宝とすることはできまいかとの申し入れを、おじいさんは快諾します。高い桟敷をこしらえて村人たちが見守る中、長者の手により徳利の振り初め式が行われますが、徳利を誰がどれだけ振ろうにも、期待の金はおろか、何一つでてきません。そのうちに怒鳴り散らしすぎた村人たちはのどが渇き、誰言うことなく「水が欲しい。」と言った途端、徳利の口から水が噴出し、その勢いが急であったことから、村は一晩の内にすっかり湖水になってしまい、村人たちは皆、湖の魚となってしまいました。ただ、旅人に親切にしたおじいさんと妻のおばあさんだけは、大水にあわずに助かったのでした。
このお話が掲載された「赤い鳥」は、盛助の友人である鈴木三重吉が創刊した雑誌で、子どもの純正を育むための、レベルの高い童話や童謡を掲載することを目的としていました。
当時、盛助は五人の子どもが生まれており、上の子どもたちは、童話などを読み始める年齢になっていました。作家としてだけでなく、一人の親として、この三重吉の考えに共感し、作品を生み出したのではないか、そんな風に思える作品となっています。