新聞小説『貝殻』は、連載終了の約一年後、春陽堂の現代文藝叢書第十三篇として単行本にまとめられました。
そして、この単行本の刊行から約半年後にあたる大正二年一月一日、『貝殻』の後日談的な作品が掲載されました。作品のタイトルは『白布』といい、登場人物は『貝殻』の主人公の柳吉とその妹の悦子の二人です。
「銀モール細工の小さい花籠をクリスマスの朝悦子が持って来てくれてから幾日か経った。柳吉はぢつと病床に臥たまま足の方にある窓を見つめて毎日退屈な日を暮らしてゐた。」との書き出しで始まり、それに続く文章から柳吉の入院生活が約一ヶ月にわたっていることや、医師や周囲の者の気遣いから、柳吉本人には知らされていない病名がチフスであろうことに気づいていること、そして、自分では治らないかも知れないと思っていることなど、柳吉の状況や感情がわかります。
「恋に破れて、病にかかって、かうして淋しく死ななければならない、・・・・さう思ふのが柳吉にはせめてもの慰藉なのだった。」
高子への失恋以来、会ったり、消息を知る機会もないままに過ごしてきた柳吉は、忘れえぬ高子への思いから、今日こそは妹の悦子と共に高子がお見舞いに来てくれるのではないかと思い、日々快方に向かっていく病状を味気なく思ったりしていました。何故、彼女は自分を見舞ってくれないのであろう、それまでは直りたくないとさえ思い、そういう風に思う自分自身を責めたりしました。また、毎日見舞いにやってくる悦子に、明日こそは高子の消息を確かめようと思いながらも、思い切って言い出すことは出来ないでいるのでした。
大晦日の朝、元日を迎える準備のため、病室の煤掃きをするからと、悦子に白いハンカチーフを顔にかけられます。真っ白な病室の中で、真っ白なハンカチーフに顔を覆われ、柳吉は雪に降り埋められたような不思議な気持ちがします。そして、煤掃きに使用される笹の葉の音が、静かな浪の音に聞こえます。この音は、失恋の慰藉を求めて夏に旅した北国の風景を思い出させました。結果、何の慰藉も与えてくれなかったこの旅では、センチメンタルな気分になるばかりであり、悄然と旅立った柳吉は、淋しい気持ちのまま帰宅したのです。そのようなことを思い出しながら、煤掃きの笹の葉の音をじっと聞いていた柳吉は、「今日で終るのだ・・・・・この一年も・・・・・。」と思うのでした。
小説『貝殻』が新聞掲載されたとき、小説の終わりは「柳吉はもう未来をも過去をも考へまいと心に思った。」という文章でした。しかし、単行本になった際には、なぜかこの一文は削除され、その前にあった「日は高くなった。真青に晴れた空に大きな白い雲が一つ浮いた。」という一文で終わっています。なぜでしょうか。
これはあくまで推測にしかすぎませんが、単行本にまとめるときに、この後日談の構想があった場合、どちらも「心に思った。」という終わりになってしまいます。「未来も過去も考えない。」という終わり方よりも、「今日で一年が終わる。」という終わり方を選んだのは、病室のシーツや布団カバー、悦子のハンカチーフなどの一面の白い布が演出をする軽やかさや明るさといったものが、新しい年の始まりという生まれ変わりのイメージを持たせるからではないかと推測され、タイトルが「白布」というだけに、この話のなかの重要なポイントになったからではないかと思われるのです。