第37回 作品紹介(21)『平野小品 二、往来』

前回紹介した『噴煙』の掲載から約一か月後の大正二年二月二十三日、平野小品の続きとして『往来』が掲載されました。
前回、「タイトルは『噴煙』とあり、副題として「平野小品の内(一)」と記されています。(中略)後に三作品が続くことから、「平野にちなんだ短い文章の作品」という意味になるでしょう。」と紹介しました。今回の『往来』では、表題と副題の表記が逆転しており、『平野小品』が表題となり、『二、往来』と続いています。つまり、『平野小品』という作品の第2章というような表記になっています。しかし、作家・苳三としての意向とは違っていたのでしょう。残る二作品はそれぞれの表題の後に「平野小品の三(もしくは四)」が続いています。これらのことから、一つひとつの作品はあくまで独立した存在であり、「平野小品」という言葉は、それらの作品の中に共通するテーマのような存在であることがわかります。
さて、今回の『往来』ですが、舞台はKという町です。K町は、戸数は千に満たないものの、その地方の首都という存在で、製糸会社の工場があり、電話があり、ステーションがあり、芸者もいて、四ページとはいえ日刊される新聞まであるといった町のようです。
作品は、主人公がこのK町にある狭い裏通りから大通りへと歩いた間に、見たり聞いたりしたことを描き出しています。
一番初めは、日光がいっぱい差し込む店先に座った、年寄りの夫婦が登場です。この老夫婦は、欅(けやき)の厚い仕事台の前に火鉢を間に置いて座っています。この老夫婦は仕立て屋なのでしょうか。台の上には、何に仕立てるのかはわからないが、真っ白で青みを帯びたイタリアネルの布が広げられており、それを前にして老夫婦は、二つの湯のみに急須からお茶を注ぎ分けているところでした。老夫婦の会話の一端でしょう、老婆が「信州の方ぢゃねよ・・・・。」とおそらく夫である老翁に話しかけた言葉が聞えましたが、続く言葉を聞くことなく、主人公は店の前を通り過ぎます。
次いで「赤山生渋(あかやまきしぶ)」とかかれた障子が主人公の目にとまり、さらにその隣では張りあげた傘が押し広げて干してある風景や、傘屋の主人と小僧でしょうか、青竹を削っている風景が写りました。そして、ぼったら焼きの屋台を取り囲む子どもたちの姿や、亀の子(たわし)を拵(こしら)える老人の姿が。
これらは、おそらくその裏通りでの日常的な光景なのでしょう。しかし、その次に見えた光景は、家具を積んだ荷馬車が通りを塞(ふさ)いでいる様子でした。見慣れていた請負師の家が引越し作業の最中だったのでした。
裏通りの終わりは火の番の小屋で、その先は大通り。一人の客を乗せた乗合馬車が走って来るところで作品も終わります。
この『往来』という作品は、主人公が目にしたものをそのまま描き出し、そこには何の感情も感想も描かれていません。老夫婦や傘屋、亀の子を拵える老人の姿といった日常の風景と、請負師の引越しという非日常の風景を描くことにより、苳三は何を伝えたかったのでしょうか。大変短い作品ながら、不思議な感覚の作品となっています。