第39回 作品紹介(23)『秩父山脈 ~平野小品の四』

『蓬莱座』に続くようにして、翌週の大正二年三月九日に読売新聞に掲載されたのは、『秩父山脈~平野小品の四』でした。
作品は、主人公の私が汽車に乗りながら、窓の外に見える景色をぼんやりと眺めるシーンから始まります。
束ね上げた桑の株や、広々とした畠地に短い麦の芽が縦横に縞模様をつけているさま、あるいは稲を干す竹台がある細長い田が見えました。
ふと、地平線の西の果てを取り巻いている秩父の山脈に眼を移すと、いつもなら藍色の平面に見えるだけであった山と山とが、見つめているうちに前へ出たり後ろへ退ったりして、自然の遠近をあらわしはじめました。山のひだもはっきり浮き出し、深い森林と思われるところまで確かになり、炭を焼く白い煙さえ見えると思わずにはいられなくなりました。そして私は、これほど山に近く住んでいたことに気づかずにいたことを不思議でならなかったのでした。
秩父のふもとにいるのだと思う私には、藍色の山脈の上に真っ白な雪をかぶった信濃の高山の頂が陽に光り、山ひだの影を雪にうつして、秩父山脈の途切れた所に富士がそびえ立っている様子が見えていました。そして私の乗った汽車が、西へ西へと山に近寄っていくのだと、事実に反対してまでも考えているのでした。
眼がまた程近い赤楊の並木に移ると、黒い野原が再び広がり、富士も秩父も小さくなってしまいました。
夕方、再び汽車に乗った私は、窓から懐かしい今朝の山々をのぞいて見ましたが、落ちかかった陽の光が西の千切れ雲の間からさして、富士だけは薄黒く見えましたが、秩父の山脈は暗い雲との境さえも知れなかったのでした。
これまで紹介した平野小品シリーズの『噴煙』、『往来』、『蓬莱座』を通して見てくると、苳三が「視線の変化」をテーマにして、作品を執筆してきたのではないかと思われます。
『噴煙』では見えているものが同じ距離感を保ったまま、時間の経過とともに変化していく様子が、また『往来』では、主人公自身が移動することにより視点が移動し、見えている風景が変化していく様子を描き出しています。さらに『蓬莱座』では視点を一箇所に定めて、時間の流れによる変化を描き出しています。そして『秩父山脈』では、距離が変わらないはずのものが、見ている側の感情の変化により見え方が変わってくる様子を描き出しています。このようにそれぞれは大変短い作品ながら、一つひとつに苳三の意図が託された作品であることがわかります。
また、シリーズ名である「平野小品」の「平野」とは、辞書によると「山地がなく平坦で広々とした地形」とあります。平坦な土地には、景色の変化が少なく単調であるイメージがありますが、苳三は「視線の変化」をテーマにすることにより、単調な中にも大きな変化があることを描き出したかったのではないかと思われます。
残念なことに、この平野小品シリーズは四つの作品をもって掲載が終わっています。これらの作品をもって完了であったのか、それともまだ続きを予定していたのか、今となっては不明です。
またこれまで進めてきた調査において、これらの作品以降、一点のエッセイ風の文章を除いて、苳三の作品を新聞に確認することはできていません。新聞への執筆をやめてしまったのか、それともまだまだ未発見の作品があるのか、今後の調査結果が待たれるところです。