第43回 作品紹介(27)『みずゑの思い出』

「おい、聞いたか。あの島村先生が女性の名前の話を書いたらしいぞ。」
「聞いたよ。奥さんの名前ではないらしいぞ。」
昭和七年二月十日、山形高等学校校友会雑誌(以下「山高」「雑誌」とします。)第二十三号が発行される直前の、学生たちの会話です。当時の学生たちにとっては厳格な先生として知られていた島村先生が、よりにもよって「みずゑ」という女性の話を書いていると、誰もが驚きと興味を覚えずにはいられなかったそうです。
好奇心と期待に胸を膨らませながら「雑誌」を手にした学生たちは、その思いを裏切られる結果となりました。なぜなら、「みずゑ」とは「水絵」、つまり水彩画にまつわる話だったからです。
この「みずゑの思い出」は、盛助がイギリス留学した際の思い出話を綴った随筆です。
当時、盛助の自宅にある応接間には、一枚の水彩画が掛けられていました。その絵について、訪問者の誰かに質問を受ける瞬間を待ち望みながらも、しかし誰からも聞かれないままに十年ばかりが過ぎていました。盛助はその絵に描かれた風景について「わたしほど深く感じうるものはまたと世にないだろう。」と述べています。なぜなら「その絵の作者は・・・わたし自身だからである。」
イギリス留学が決まり、いよいよ出発の段になると、盛助はいろいろな人から心づくしのプレゼントを贈られました。その中で、もっとも盛助を驚喜させたのは、教え子である山高の学生たちから贈られた水彩画の道具一式でした。イギリスまでの船旅の途中に目にした、数々の美しい風景については、あまりに美しかったためにその道具を使えず、また、イギリスに着いてからも数か月の間は、冬でもあり名高い濃霧の時期でもあったことから、心は陰鬱となり、絵を描く気もおきなかったようです。
しかし、ある日のこと、下宿の部屋の窓から見えるいつもの風景の中に、春の訪れを感じさせる変化を見つけた盛助は「この国の陰惨な冬も終わるのだ!と云ひ知らぬ嬉しさが胸にあふれてくるのであった。」そしてその嬉しさは、盛助に絵の道具を取り出す勇気を与えたのでした。
この日をきっかけに、スケッチバックを肩に絵を描きに向かう盛助の姿が毎日見かけられました。自宅応接間に掛けられていた絵は、そうして描かれた数々の絵の内の一枚で、オックスフォードから程近いボード・メドウという牧場で描いたものでした。
その日、朝から今にも振り出しそうに曇った中、じめじめした草地にスツールを据え、親馬と仔馬が一列に並んでいる風景を描き出しました。東風の恐ろしく身にしみる日で、パイプをくわえて火をつけようとしても、どうしても風に消されてしまうほどでした。やっと仕上げた時分にはとうとう雨が降り始め、何とか絵を庇いながら下宿へとたどりつきました。この絵を同じ下宿の住人に見せたことをきっかけに、地元のパブ「トラウト・イン」を紹介されたり、そのあたりに残る昔話を聞いたりしました。その後も絵を描いた周辺や、聞いた昔話の舞台を訪ねたりなどしました。応接間に掛けられた絵は、見るたびにこれらの思い出を盛助に思いださせるのでした。
インターネットで検索してみたところ、盛助がビールを楽しんだ「トラウト・イン」をはじめ作品に出てくる場所のいくつかは、ほぼ昔のままのようであることが分かりました。いつの日か、盛助がみた風景を直接見てみたい、こう思ったのは山高の学生たちだけではないことでしょう。