解題・説明
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【判型】半紙本1冊。 【作者】不明。 【年代等】寛政10年(1798)7月書・刊。刊行者不明。 【概要】分類「往来物(地理科)」。寺社を主とする京都の名所旧跡とその縁起・故実・祭礼等を記した往来。鈴鹿定親作・延宝3年(1675)刊『都名所往来』を大幅に簡略化したもの。同本文から庶民に不要な文言、その他を随所で削除したほか、延宝板本文の「延宝二年迄八百九十二年也」を「寛政十戊午年迄凡千五年也」と当代にふさわしく改めた。寛政板には後半に「風月往来」(再板本では削除)を合綴する。本文を大字・5行・付訓で記す。頭書に「書初詩歌」「七夕詩歌」「詩歌書法」「天満書(二字~五字之分)」「大日本国尽」「京町尽」、巻頭に「渡唐天神像」等の口絵2葉、さらに巻末に「十干・十二支」を掲げる。 【備考】底本の題簽は手書きの後簽。原題簽は「〈童子重宝〉都名所往来」。底本は刊記を欠くが、同板別本は[京都]菊屋喜兵衛板で、文政13年(1830)にも再刊([京都]蓍屋宗八ほか板)された。なお、延宝板『都名所往来』は、手紙文の形式を借りながら、宮中を中心とした京都の年中行事、洛中洛外町次第、名所旧跡、宮寺・山院・寺号、所々額筆者、国八郡并村数、花洛祭礼等について詳述した往来。「陽春之慶賀珍重々々。富貴万福幸甚々々。自他繁昌雖事旧候、猶以不可有尽期候…」で始まる本文を大字・5行・付訓で記す。全体的に寛文9年(1669)刊『江戸往来』に酷似した文章で、末尾を「…国土安穏民譲畔、誠武運長久。于時延宝二寅初秋鈴鹿定親造之畢」と結ぶように、巻頭の宮中奉賛に対応させる。文中、「洛中洛外町次第」のように語彙を列挙する体裁の箇所が少なくない。(小泉吉永 記)
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