5 人との関わり

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 狭山丘陵に人の活動の跡が見られるようになったのは、今から約3万年前の旧石器時代である。縄文時代(約12000年~5000年前)には定住生活を始め、集落が形成された。現在の雑木林の原型はこの頃に始まるという。水が乏しい狭山丘陵では、稲作が始まる弥生時代(約2000年前)に遺跡も少なくなるが、次の古墳時代(約1500年前)では集落の数は増加傾向にあった。その後は谷戸を中心に村落景観が開けていったことを、100箇所をも超える神社や仏閣の分布が物語っている(森野壌1998)。
 現在の丘陵の自然を見る上で決定的な影響を与えたのが、貯水池の建設である。これは当時の東京市が、大正期から昭和初期にかけ上水道の水源として縄竹、勝楽寺、宅部村などを水没させ村山貯水池(1927年竣工)と山口貯水池(1932年竣工)を造成したものである。この開発は、戦後の様々な開発の引き金になったのだが、同時に丘陵の3分の1にもおよぶ区域を水道局用地として立入禁止にし広大な森林を水源涵養林として保護したのである。これは結果的に、今に見る狭山丘陵の自然の豊かさを温存する上で、大きな貢献を果たしたといえる。