『守谷町史』の刊行にあたって |
上梓のことば |
凡例 |
第一編 守谷の自然 | |
第一章 守谷の自然・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三 |
第一節 守谷の位置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三 |
守谷の位置 | |
守谷の地形 | |
守谷の面積と人口 | |
守谷の気候 | |
守谷地方の生物 | |
第二節 守谷の土地利用と開発・・・・・・・・・・・・・・・ | 一一 |
守谷地区 | |
高野地区 | |
大野地区 | |
大井沢地区 |
第二編 原始・古代の守谷地方 | |
第一章 黎明期の守谷地方・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一五 |
第一節 先土器時代の守谷地方・・・・・・・・・・・・・・・ | 一五 |
先土器文化の誕生 | |
県内の先土器遺跡 | |
第二節 縄文時代の守谷地方・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一九 |
遺跡の分布 | |
縄文式土器 | |
縄文人の生活と社会 | |
第三節 弥生時代の守谷地方・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二八 |
新しい文化の波 | |
階級社会 | |
県内の弥生遺跡 | |
第二章 古墳時代の守谷地方・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三五 |
第一節 県内の古墳の分布・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三五 |
古墳文化の展開 | |
第二節 守谷町内の古墳・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 四三 |
古墳の分布状況 | |
第三節 遺跡の調査・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 四五 |
乙子遺跡 | |
北今城遺跡 | |
大日遺跡 | |
座庄内遺跡 | |
篠根入遺跡 | |
仲原遺跡 | |
鈴塚遺跡 | |
鈴塚古墳(塚)群 | |
今城遺跡 | |
北守谷遺跡 | |
郷州原遺跡 | |
第三章 飛鳥・奈良・平安時代の郷土・・・・・・・・・・・・・ | 五八 |
第一節 律令制の施行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 五八 |
律令社会の進展 | |
相馬郡衙 | |
第二節 戸籍の制定と班田制・・・・・・・・・・・・・・・・ | 六二 |
班田制の施行 | |
条里制 | |
第三節 人びとの生活・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 六四 |
竪穴住居跡 | |
人びとの負担 | |
第四節 仏教の伝播と寺院の建立・・・・・・・・・・・・・・ | 六八 |
寺院の建立 | |
仏教思想の普及 |
第三編 中世の守谷地方 | |
第一章 中世のあけぼのと守谷・・・・・・・・・・・・・・・・ | 七五 |
第一節 守谷の中世について・・・・・・・・・・・・・・・・ | 七五 |
わが国の中世 | |
守谷のあけぼの | |
相馬氏と守谷 | |
第二節 荘園制の崩壊と武士のおこり・・・・・・・・・・・・ | 七七 |
荘園制の崩壊 | |
不輸の特権 | |
貴族の栄華 | |
武士のおこり | |
第三節 常総地方における平氏の出現・・・・・・・・・・・・ | 七九 |
平氏の元祖 | |
尊卑文脈と将門記 | |
高望の子供等 | |
常総の地 | |
第四節 下総と相馬の地名のおこり・・・・・・・・・・・・・ | 八二 |
下総国 | |
下総国の郡郷 | |
相馬郡 | |
第五節 将門の生いたちとその本拠地・・・・・・・・・・・・ | 八四 |
将門の生いたち | |
将門と合戦 | |
将門の本拠地 | |
守谷と将門 | |
第六節 平安中期以降の守谷とその地形・・・・・・・・・・・ | 八八 |
平安中期の守谷の地形 | |
守谷の地名 | |
当時の利根水系 | |
中世の路線 | |
新河道開削 | |
第七節 将門が王城を建てようとした場所と守谷について・・・ | 九二 |
将門の王城計画 | |
将門記 | |
王城建設の場所 | |
信仰の場所としての守谷 | |
第八節 将門についての守谷の遺跡と伝承・・・・・・・・・・ | 九七 |
将門伝承と守谷 | |
守谷城 | |
妙見八幡宮 | |
海禅寺 | |
将門及び七人の影武者の墓と将門の位牌 | |
大木山霊山 | |
禅福寺 | |
将門出陣の図 | |
永泉寺 | |
長竜寺 | |
愛宕神社 | |
御出子城跡 | |
桔梗塚 | |
小山村 | |
乙子村 | |
高野村 | |
鈴塚村 | |
同地村 | |
第二章 相馬氏の先祖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一〇四 |
第一節 相馬氏の系譜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一〇四 |
相馬の先祖は将門か | |
相馬の先祖と平良文 | |
将門先祖説の検討 | |
平良文説の検討 | |
第二節 平安時代末期の相馬氏・・・・・・・・・・・・・・・ | 一〇七 |
平忠常 | |
常将・常長・常兼 | |
常晴と常重 | |
第三章 相馬御厨について・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一一〇 |
第一節 相馬御厨・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一一〇 |
相馬御厨の意味 | |
第二節 相馬御厨の範囲・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一一二 |
寄進状案とその範囲 | |
第三節 寄進の条件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一一三 |
櫟木文書と寄進状案 | |
第四節 相馬御厨は常胤が伝領・・・・・・・・・・・・・・・ | 一一五 |
常胤と源義朝 | |
佐竹義宗の出現 | |
師常と守谷城 | |
第五節 相馬御厨と義胤・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一一八 |
義胤と領地分配 | |
胤村分配の領地 | |
第六節 荘園制下の農民と生産物・・・・・・・・・・・・・・ | 一一九 |
相馬地方の住民の階層 | |
年貢と生産物 | |
第四章 鎌倉時代と相馬氏・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一二三 |
第一節 鎌倉時代前期の相馬氏・・・・・・・・・・・・・・・ | 一二三 |
源頼朝の挙兵と相馬常胤 | |
吾妻鏡にある常胤と師常 | |
相馬五郎義胤 | |
第二節 鎌倉時代中期以降の相馬氏・・・・・・・・・・・・・ | 一二六 |
義胤の所領分配 | |
胤綱以降のこと | |
胤村 | |
師胤・重胤 | |
行胤 | |
第三節 平安・鎌倉時代の交通路・・・・・・・・・・・・・・ | 一三〇 |
下総国府から常陸国府に通ずる道 | |
鎌倉街道 | |
第五章 南北朝時代の相馬氏・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一三三 |
第一節 南北朝時代のあらまし・・・・・・・・・・・・・・・ | 一三三 |
第二節 総領家相馬氏とその動き・・・・・・・・・・・・・・ | 一三四 |
建武新政と相馬重胤 | |
その頃の相馬氏 | |
奥州の相馬は北朝方 | |
重胤自害 | |
光胤戦死 | |
北畠親房小田城による | |
第三節 下総の相馬氏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一三八 |
南朝方の下総相馬氏 | |
有胤の子等 | |
第四節 高野城・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一四一 |
高野城の立地 | |
本城構築の年次 | |
高野城の価値 | |
第六章 室町時代と相馬氏・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一四六 |
第一節 応永の乱と相馬氏・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一四六 |
鎌倉公方 | |
鎌倉公方持氏と相馬胤長 | |
永享の乱と結城合戦 | |
北條氏の勢力拡大と相馬氏 | |
第二節 相馬治胤と古河公方・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一五〇 |
古河公方晴氏 | |
守谷城の提供 | |
芳春院の書状 | |
関宿の簗田氏の態度 | |
第三節 戦国後半の守谷地方・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一五三 |
戦の主力常総南部に移行 | |
天正初期の相馬氏 | |
守谷城伝承の唄 | |
古間木落城と花島の戦 | |
大生郷天神の戦 | |
天正五年春、多賀谷軍攻勢に出る | |
守谷城勢揃のこと | |
戦いの開始 | |
多賀谷氏の岡見攻撃 | |
多賀谷氏の筒戸城攻撃 | |
最後の相馬氏 | |
第四節 守谷城・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一六六 |
本城の立地 | |
本郭の構造 | |
城内は増築さる | |
大手門から本城へ | |
本城構築の初元 | |
守谷城は将門の城ではない | |
戦国期の守谷城 | |
第五節 産業と生活・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一七二 |
製鉄について | |
水産業、その他 | |
相馬野馬追い | |
庶民の生活 | |
第七章 神社・寺院(古代から室町時代まで)・・・・・・・・・ | 一七七 |
第一節 神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一七七 |
浅間神社 | |
八坂神社 | |
愛宕神社 | |
六十六所神社 | |
保食神社 | |
香取神社 | |
香取神社 | |
妙見八幡宮 | |
第二節 寺院・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一七九 |
大円寺 | |
長竜寺 | |
西林寺 | |
海禅寺 | |
大木山霊山 | |
永泉寺 | |
清瀧寺 | |
正安寺 | |
雲天寺 |
第四編 近世 | |
第一章 近世の開幕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一八五 |
第一節 相馬氏の滅亡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一八五 |
相馬氏亡ぶ | |
第二節 家康の関東知行割・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一八五 |
関東知行割 | |
第三節 土岐氏の守谷入城・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一八八 |
土岐氏の入府 | |
土岐氏の経歴 | |
第二章 江戸幕府の農村支配・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一九一 |
第一節 幕藩体制の確立・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一九一 |
中央集権制 | |
幕藩制の造出 | |
第二節 江戸時代の農民の地位・・・・・・・・・・・・・・・ | 一九三 |
農民の意義 | |
農民の社会的地位 | |
第三節 江戸時代の農民統制・・・・・・・・・・・・・・・・ | 一九六 |
慶安御触書 | |
第四節 土岐氏以降守谷の支配者・・・・・・・・・・・・・・ | 二〇〇 |
支配領主の交替 | |
支配領主の固定化 | |
第三章 近世の守谷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二一二 |
第一節 村落の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二一二 |
守谷町 | |
野木崎村 | |
大山新田 | |
板戸井村 | |
大木村 | |
立沢村 | |
大柏村 | |
高野村 | |
鈴塚村 | |
乙子村 | |
小山村 | |
辰新田 | |
郷州原 | |
奥山新田 | |
赤法花村 | |
同地村 | |
第四章 利根川河道の東遷工事と鬼怒川開削・・・・・・・・・・ | 二五二 |
第一節 伊奈氏の経歴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二五二 |
伊奈忠次の事蹟 | |
第二節 利根川河道の東遷工事・・・・・・・・・・・・・・・ | 二五三 |
徳川氏の領国経営 | |
利根川流路の変更 | |
伊奈忠次と河川改修 | |
忠次没後の後継者 | |
第三節 鬼怒川の開削・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二五八 |
改修と新田開発 | |
開削時期に関する諸説 | |
開削工事に関する諸挿話 | |
開削工事と農民の労役 | |
第四節 利根水系舟運の発達・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二六七 |
利根、鬼怒の改修と河川交通 | |
河岸問屋組合の成立と船舶の種類 | |
第五節 舟運と流域文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二七四 |
アンバサマ信仰 | |
河岸と水茶屋の出現 | |
流通機構と河川交通 | |
第五章 江戸時代の農村社会・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二七九 |
第一節 村落自治とその構成・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二七九 |
村落の発生 | |
名主 | |
組頭 | |
百姓代 | |
小前 | |
第二節 農村社会の階層・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二八五 |
農村における身分の分類 | |
第三節 五人組制度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 二九〇 |
五人組 | |
五人組帳要約 | |
第六章 年貢と夫役・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三〇四 |
第一節 年貢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三〇四 |
年貢の徴収 | |
年貢査定の方法 | |
第二節 夫役・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三一二 |
土木工事手伝い | |
将軍家狩猟時の夫役 | |
第七章 筑波挙兵と常総騒乱・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三一九 |
第一節 幕末期の農民・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三一九 |
七卿落ちと真忠組事件に関する触書 | |
第二節 筑波挙兵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三二三 |
水戸藩の内紛 | |
水戸藩天狗党とその起因 | |
義旗筑波山上にひるがえる | |
第三節 常総騒乱と幕府の対策・・・・・・・・・・・・・・・ | 三二六 |
天狗党の分裂 | |
天狗党の暴威 | |
第四節 常総農村の非常体制・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三二八 |
天狗党離脱派の農村攪乱 | |
離脱した天狗党の末路 | |
第五節 維新の胎動期と農村・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三三二 |
維新前夜の世相 | |
第八章 明治維新と農村の変革・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三四〇 |
第一節 王政一新の意義・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三四〇 |
明治新政 | |
第二節 行政管区変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三四二 |
行政機関の改変 | |
第三節 行政機構の改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三四四 |
戸長及び大小区制の誕生 | |
大小区制の改変と新戸長の任命 | |
戸長の職分 | |
第九章 明治初期の社会変貌・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三五三 |
第一節 義倉の設置・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三五三 |
義倉の意義 | |
義倉の成立 | |
第二節 戸籍法の実施・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三六〇 |
人別調査 | |
人別調査の特例 | |
第三節 学制発布・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三六九 |
学制取調委員の任命 | |
学制の実施とその対応 | |
第四節 学制と守谷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三七四 |
学校の設立とその経費 | |
学区連合による学校の設立 | |
学校制度の変更と教員の養成 | |
第一〇章 守谷町の近現代・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三八八 |
第一節 市制及び町村制・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三八八 |
旧町村の誕生 | |
第二節 通運丸の就航・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三八九 |
利根運河の開通 | |
通運丸の構造とその終末 | |
第三節 常総鉄道の開通・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三九三 |
幻の関東中央鉄道株式会社 | |
常総鉄道株式会社 | |
第四節 農地改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 三九七 |
地主制の崩壊 | |
旧大井沢村の農地改革 | |
解放前の農民運動 | |
第五節 町村合併促進法と大守谷の出現・・・・・・・・・・・ | 四〇二 |
人口八〇〇〇人を目標に | |
一町六か村より成る守谷町 | |
同地の参加 | |
第一一章 守谷人物小史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 四〇五 |
第一節 斎藤斐伝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 四〇五 |
国会開設運動 | |
経済人としての斐 | |
第二節 岩田太郎伝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 四〇八 |
大日本蚕業研究会養蚕講習所の開設 | |
蚕業の斜陽化と太郎の晩年 | |
第三節 矢野正世伝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ | 四一三 |
竜鳳雌伏 | |
大志成就 |
年表 |
町史編さん関係者名簿 |
あとがき |