県内の先土器遺跡

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 昭和二十四年の岩宿遺跡の発掘以来、今日まで、日本の旧石器時代の遺跡は二〇〇〇余か所が確認されており、茨城県内においても五〇余例が報じられている。これらの遺跡の大半がひらけた台地上にあり、ヨーロッパやアジア大陸における洞くつや岩陰とは異なって、開地住居であったように考えられている。また、遺跡によっては、炭化した木材の細片が多量に発見されていることから、火は十分に利用されていたものと考えられる。
 県内におけるこの時代の調査研究は比較的県北地方が顕著である。高萩市上君田遺跡、日立市笹目遺跡、勝田市後野遺跡・西原遺跡・中区遺跡、那珂町額田遺跡、大宮町梶巾遺跡、山方町山方遺跡、水戸市赤塚遺跡、鹿島町伏見遺跡などがよく知られているが、鬼怒川・小貝川流域のいわゆる常総台地と呼ばれる当地方の先土器時代の遺跡・遺物はほとんど確認されていない現状である。わずかに、明治四十二年(一九〇九)守谷町郷州原地内で採集され、現在、守谷小学校に保管されている二点の石器があるのみである。この二点の石器は、いまから約二万年前と推定される守谷町の最古の文化遺産といえる。

山方町山方遺跡出土石器
(『茨城県史料・先土器・縄文時代』)


郷州原出土の石器