草創期の土器は隆起線文・爪形文などを特徴とし、丸底または尖(せん)底を呈し、出土例も少なく、概して洞くつなどからの発見例が知られる。早期から前期にかけては、生活文化の急速な発展と向上がみられる。このことと対応して、土器の形態にも多様化の傾向が著しくなっていく。この期には深鉢・浅鉢・壺などが出現することは、用途に応じた形態の分化が進んだことを示している。土器の底部も安定した平底となり、土器製作時に土器の中に植物が入るようになるのも、この時期の特色といえる。
中期になると、華麗な隆起文を施す土器の製造が盛んになり、中には蛇などの動物や人面を模す特異な装飾を施すものも作られるようになる。とにかく、原始時代の土器の中にあって、造形的に最も秀れた土器がこの中期を頂点として製作されており、当時の人びとの生活意欲の高まりが十分に示されているといえよう。
守谷町内の縄文遺跡は、この中期およびそれ以降に編年されるものが大部分であり、関東・中部地方との分布状況で比較しても、例外的な現象ではない。
次いで後・晩期になると、土器の器肉は薄手となり文様は沈線によって描かれた繊細なものとなり、精製されたものと大きな粗製土器とに分かれる。形態も前代の深鉢や浅鉢に加えて、甕(かめ)・壺・土瓶形・異形土器なども作られるようになった。水海道市築地遺跡からは後・晩期の遺物がかなり出土しているが、中でも異形土器は極めて特異な形態の完形土器である。
縄文式土器と石斧