大日遺跡

47 ~ 48 / 434ページ
 遺跡は、守谷町鈴塚字大日と高野字五十塚にまたがる地内に存し、東と西側を谷津田の開けた小支谷が入り込み、南に張り出した台地上に所在する。「大日」の地名は付近に大日如来の祠があったことによる。
 調査の結果、縄文時代後期の住居跡一軒、弥生時代後期の住居跡二軒、古墳時代中期の住居跡一〇軒が検出された。縄文・弥生時代の住居跡からの出土品は少量であったが、古墳時代の住居跡からはかなりの量の土器(土師式土器)が出土し、中でも、高坏形土器・壺形土器・坩形土器が圧倒的に多かった。

大日遺跡第4号住居跡実測図