郡衙の所在地については、一般的なとらえかたとしては、郡内に郡名と同一名称を冠する郷が存在するとなれば、その郷内に郡衙設置の可能性が強いと指摘されている点を考慮すると、相馬郷をあてることができよう。これまでに、取手市寺田小山(旧北相馬郡寺原村)に鎮座する八幡神社(相馬惣代八幡)の付近から守谷町にかけての地域に郡衙跡を求める識者もいるが、現在の段階では有力な手がかりとなるものはまったくない。しかし、最近、千葉県我孫子市内の手賀沼北面の台地上に建設された県立湖北高校用地内の発掘調査(日秀西(ひびりにし)遺跡)で、官衙遺構と判断できる多数の掘立柱穴群が検出されている。遺跡の規模や柱穴群などの配列状況から、この日秀西遺跡の建物遺構をもって相馬郡衙と推定するむきもある。いずれにしても、所在地の究明については、今後の調査研究に期待したい。
日秀西遺跡建物跡配置図(『我孫子市史研究5』)
日秀西遺跡の遠景(千葉県沼南町から望む)