班田制の施行を容易にしたのが条理制とよばれる地割制度であった。この制度によって整然と地割りされた耕地は、比較的広範な水田地帯に営まれたが、この土地区画方式には、単に班田収授の事務上の便利のみならず、農業技術上の利点もあった。現在、この土地割遺構は全国で確認されており、国衙・郡衙所在地周辺で多く認められるのも特徴的である。茨城県内でも、常陸太田市・石岡市・下妻市・大穂町・真壁町・桜村などの地内で明らかにされているが、守谷町内においては、これまでに確認例はない。おそらく、地理的制約からその施行が困難であったためではないかと思われる。ただ、町内の各地に「何々坪」といった「坪」名を冠する地名が存在することについては、検討の余地が多分にある。
条里制模式図(『市川市史』)