仏教思想の普及

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 このころになると、仏教の普及によって葬法の変化がしだいに顕著となってくる。まず、火葬の採用をあげることができる。すでに、大化の薄葬令(六四六年)による造墓・葬送・儀礼に対する規制が講じられたとはいえ、それはあくまでも、従来から踏襲されてきた造墓造営に厳しく対応したものであり、火葬の採用による葬制変革の背景は、あくまでも外来文化の仏教思想の普及によるものである。そこが根本的に相違する点である。
 いずれにしても、八世紀に入ると仏教思想はかなり普及し、東国でも、このころになると高塚墳の造営がごく限定された地域を除いて完全に消滅し、火葬の採用が一般化するようである。各地から出土する相当量の蔵骨器(火葬骨を収納した壺形土器)は、この推移をより明白にしているものといえよう。