中世は武家が政治上の実権を掌握した時代であるが、わが国を武家社会へと移行させる要因をつくった場所は、常総の地であった。
平安時代の中頃、京都では貴族を中心とした優美な生活が展開されていたころ、常総の地では武士が出現してその地盤を固め始めていた。それは、平将門の出現によって武家時代の端初が開かれたものであり、守谷の地も将門の勢力圏にはいったもののようである。
将門の出現は、わが国の中世史のあけぼのを理解する上に、極めて重要な意味をもつもので、これによって守谷の地も、やがて武家社会へと移行していくのである。将門の出現によって守谷が中世社会になったわけではないが、守谷においては「中世のあけぼの」として特に取上げてみたのである。