平氏の元祖

79 ~ 80 / 434ページ
 平高望も、中央から国司となって常総の地に来任し、ここに土着した人であった。高望は桓武天皇の第三皇子、葛原親王の子で、従五位下上総介(かづさのすけ)に任ぜられ平朝臣(たいらのあそん)の姓を賜った。ここに、彼は常陸、下総地方を中心に、平氏一族の地盤の基礎をつくることになる。
 この平氏の先祖を、『尊卑文脈(そんぴぶんみゃく)』によってみると、前記のようになっている。また、ここに『将門記』をみると、将門の父良将は、良持となっており、良持のところは、良正とあって、国香、良持、良兼、良正、良文の名が出て来る。これについて、良将の「将」と、良持の「持」のくずし字が似ているところから、書き違えたのではないかという見方もある。そして、良茂の子良正は、『将門記』には高望の子、「良正」となっているが、良将と、良正は同一で、良茂と良持は同じ読み方で、重複ではないかというのである。註(1)これについて、良将は良持ではなく、その子供等が「将」を称しているから、やはり良将が正しいという説もある。

 


平将門像(国王神社蔵を写筆する)