戦国時代も終りを告げる天正十八年(一五九〇)、徳川家康は江戸に入府したのであるが、彼は江戸付近を洪水から守るために今まで江戸湾(東京湾)に注いでいた利根川を、現在の埼玉県栗橋付近から東に導き、沼や低湿地になっていたところを掘割って利根川の水を導いた。それから間もなく家康は、鬼怒川から流れ込む小貝川の氾濫を防止するため新河道開削工事を実施し、板戸井台地を開削して、大木、野木崎の平坦地を経て、利根川につないだのであるが、このことは近世の章において述べられている。とにかく、守谷の地形は現在に至って大きく変ぼうしたのである。