目次
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第三編 中世の守谷地方
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第一章 中世のあけぼのと守谷
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第七節 将門が王城を建てようとした場所と守谷について
信仰の場所としての守谷
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守谷と将門との関係について更に検討してみると、将門は守谷の地を、信仰の中心地としたことである。将門の叔父良文は、千葉に妙見神社を建てていたが、将門もまた守谷に七妙見を遷し、石井の地にも一社を分祀した。妙見というのは、印度では北斗七星を神格化した延命の神で、これが中国を経て神亀五年(七二八)わが国に伝来し、その後、八幡神と習合して、妙見八幡となって将門に厚く信仰された。註(7)
この時代は、特に神仏の力に頼り、神威を畏れたもので、何事につけても神仏に戦勝祈願をしたようである。将門は妙見信仰が厚く、妙見八幡が守谷に残されているのである。
国王神社(岩井市)
妙見八幡の跡(守谷城外)
また、守谷には将門が創建したと伝えられる社寺が多く残され、それにまつわる数多くの伝承が存在することは、次節で述べたい。これ程の数多くの伝承が残されているのは、他の地にはなく、このことから見ても、将門は守谷を信仰の地と定めたことがよく窺われるのである。