第一節 相馬氏の系譜

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 守谷の地は中世全般をとおして、代々相馬氏が領治していたところであった。ところが、相馬氏の系統を綿密にしらべてみると、大変に複雑であって、その系譜書が十以上の多きにのぼり、それぞれ異同がある。そこでそれらの系譜を入念に分類し、整理してみると、大まかにみて、二つの系類にわかれることが明らかになった。
 これについてみると、
相馬の先祖は将門か
 先ず、相馬の先祖を、平将門にしていることである。その例をあげてみると、将門が敗死した後、子供の将国が信太郡(現在の稲敷郡桜川村浮島)に逃れ、信田氏を名乗るのであるが、その子孫が相馬郡に帰還して、再び相馬氏を名乗る。その後、師国の代になって、跡継がなかったので、その一族の千葉常胤を迎えたというのである。そして、いまひとつの例は、将門の叔父に当たる良文の子の忠頼を将門の養子として、その跡を継がせて相馬氏を称したというのである。

総州相馬系図の例