そこで、最初にあげた将門を先祖とする系譜をみると、将門の悲業の死を遂げたことがかえって同情的で、偉大な英雄として尊敬され、そのようなことで各地に碑が建てられたり、伝記や物語などに書かれるようになった。中世に作られた幸若舞(こうわかまい)もそれで、そのほか歌舞伎、錦絵(にしきえ)にもでてくる。また、将門と相馬郡とを結びつけて記述してある書物に、『将門記』や『平治物語』・『源平闘争録』などがある。そのようなことから、相馬氏やその他の関係者が、それらの伝記を材料として、自家の系譜に将門を繰り入れ、諸本の多くもそれにならったものと考えられる。相馬系図の多くは、寛永年間以後に作られたことからみても、そのことが理解されるのである。