ところが、最近になってそれよりも古く作られたとみられる、十二世紀中期のもので、千葉常胤が相馬郡の継承に関する相論のとき、主張した系譜は、自己の正統性を示したものとして、いくらか疑問が残るにしても、系譜自体は信用し得るものではなかろうか。註(2)更にまた、岡田清一氏はこれを千葉系図としてあげているが、これをみると、
『尊卑文脈』によると、
となっていて、多少の相違はあるが、以上のような観点から、相馬の系統は良文の流れを汲むものと考えて、差支えはあるまい。
なお、これより平安時代の末期に活躍した、相馬氏の先祖について、そのあらましを述べてみたい。