佐竹義宗の出現

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 源義朝が平治の乱に敗死すると、また、この御厨の所有権を主張する者があらわれた。それは源氏の系統である常陸国の太田にいた佐竹義宗であった。義宗は応保元年(一一六一)、常澄、常胤の悪道をあばいて相馬御厨の権利を主張し、これを皇太神宮に寄進した。また、常胤からも供祭料は、四月に至るも納入されなかったので、神宮では義宗の寄進を採用したのである。
 治承四年(一一八〇)源頼朝の挙兵に呼応した常胤は、頼朝に先ず佐竹攻撃を進言したので、同年十一月には、頼朝は佐竹氏を攻略した。それによって御厨は再三常胤のもとへ、しかも久方ぶりに返還されたのである。

源某(佐竹義宗か)起請文字
(「伊勢神宮文庫所蔵」中世相馬氏の基礎的研究より)