相馬地方における荘園制度の中での住民についての資料はないが、その頃の住民の階層等について書かれたものは多い。そこで、それらの資料を参考にして、相馬御厨内及び守谷付近の状況を推察してみると、およそ次のような階層があったようである。
①在地領主層 ②名主層 ③小百姓層(作人) ④下人 註(8) ⑤職人層
右の①に当る在地の領主層は、御厨を領有する荘官、地頭、または、その代官等で、その地に土着した人々である。彼等はその耕地の一部を下人を使って直接経営し、その他は小百姓等に作らせ、その地代を夫役労働で納める形をとった。その②の名主層というのは、領主の下にあって、名田を経営するものである。この名田には班田の一種で、年貢の対象になる公田と、土地を開発したり、荒地を再開発して、永代私有を認められた私田とがあった。公田の方は下人等を使役して、直接経営するが、私田の方は小百姓層に作らせた。鎌倉時代になると公田は、特殊な課税対象に使われるだけで、次第に公私の区別がなくなっていって、領主の所有に移行していったようである。その③の小百姓層というのは、零細な土地を保有する独立した農民ではあるが、村落共同体の成員からはずされ、単に夫役労働を通じて領主や名主へ隷属したのである。
④の下人というのは、年貢の負担を免除され、領主や名主に私的に所有される階層で、売買・譲渡の対象にもなり、また、農奴ともいわれた。⑤の職人層というのは、下人の中には入らないが、下人と同じく年貢、公事を免除され、荘園領主の保護のもとに、それに課税を納めるものである。
領主層は広大な堀や土塁を廻らしていたが、小百姓、下人の中には、竪穴住居に住む者も多く、下人層の中には、横穴を掘って生活するものもあったようである。そして村落は集村型ではなく、散村型のものが多いようであった。