義胤の所領分配

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 義胤の後は、その子胤綱が継いだ。その系譜をみると

 となっている。暦仁元年(一二三八)、四代将軍藤原頼経が、春日社に参詣したときの供奉人として、相馬次郎左エ門尉胤綱がみえる。胤綱と胤村は、小侍所の御家人に加わっている。
 また、胤綱の父義胤が娘の土用御前に、守谷の野毛崎(野木崎)の地を与えたことについては、前節で述べたが、義胤はその他、てか(千葉県沼南町手賀(てが)・沼南町布瀬)・ふちこころ(柏市藤心、陸奥国行方郡千倉荘(ちくらそう))を土用御前に与えている。土用御前はそれらの所領をもって、新田氏の庶子、岩松時兼に嫁している。そして、野木崎の所領はその息子経兼に相伝されることになった。