下総国府から常陸国府に通ずる道

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 下総国府から常陸国府に行く道は、布佐、布川を経て、竜ケ崎の榎の浦津(えのうらつ)(奈戸岡)に至り、それから、榛谷駅、馬掛(まがき)を通って、ここから乗船して、対岸の牛渡(うしわた)に着き、高浜を経て常陸国府に達する道程と、いまひとつは、布施を通って常陸川(現在の利根川)を渡り、相馬本郷(現在の取手市)の寺田、守谷を経て、鬼怒川を渡って早馬津(はいまつ)(現在の配津)に着き、それを北上して土浦の駒津(こまつ)(土浦市)を通って府中に行く道があった。
 また、配松に着いて、岩井の早打にかかり、轡懸(くつかけ)(沓掛)を経て、広江(飯沼)を渡り、崎房(石下)に通ずる道も開けていた。
 当時は、物資輸送等の関係で舟便も使用され、海路も利用されたようである。その路程は、銚子から霞ケ浦の流海に入り、一路国府に向う道と、霞ケ浦の流海より榎の浦を経由して、榎の浦津に至り、小貝川をさかのぼって、守谷を経て常総の地に入る路線があった。
 更に、榎の浦から現在の利根川をさかのぼる水路もあった。現在の利根川は先述したように、その当時は江戸湾に注いでおり、そこには湿地帯や、藺沼など多くの沼があり、それ等の沼をつないで常陸川などの水路が開けていたようである。守谷の地はそれらの水路と、一方には小貝川、鬼怒川の合流点に当たっていたから、水陸交通の要路を占めていたものである。