鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇の建武新政が始まったのは建武元年(一三三四)であった。天皇は政治の実権を自らの手に取り戻し、公武合体の新政府をたてたのであるが、朝廷では長いこと政治から遠ざかっていたので、すべての点に不馴れであり、その上、世は再び武士の時代にもどりつつあったので、これらの動向をどうすることも出来ず、世は動乱の方向へと進んでいったのである。
世の動きをよくみていた足利尊氏は、新政府に反旗をひるがえして京都に入り、光明天皇を擁立して新しい幕府を組織した。ここに建武新政はわずか三年で終幕となったわけである。
その間に、種々ないきさつがあったが、後醍醐天皇は吉野において政治(南朝)をとり、京都では尊氏がたてた朝廷(北朝)があって、互いに争った。このような状態は、三代将軍義満が南朝と北朝を合一した時まで、約五十年も続いたのである。世にこれを南北朝時代といっている。