目次
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第三編 中世の守谷地方
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第五章 南北朝時代の相馬氏
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第二節 総領家相馬氏とその動き
光胤戦死
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『相馬文書』の暦応二年(延元四年・一三三九)の「相馬胤頼軍忠状案」をみると、南朝方の広橋経泰などが小高城を攻撃して、正慶三年三月二十二日(一三三六)、光胤と激烈な戦を展開している。なお、同年五月、北畠顕家は小高城を攻撃し、光胤は戦死している。