目次
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第三編 中世の守谷地方
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第六章 室町時代と相馬氏
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第一節 応永の乱と相馬氏
鎌倉公方
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足利尊氏は、鎌倉幕府の執権北條氏が滅亡した後、関東の重要性を考えて、弟の直義、次いで長男義詮を鎌倉に置いて、これを鎌倉公方(かまくらくぼう)と称した。その後、直義は次男基氏と交替させた。そして、その子氏満、満兼、持氏が継承したが、その補佐に代々上杉氏があたったのである。
鎌倉公方は、関東、陸奥の諸国をしたがえ、まさに東国の幕府としてその勢力は絶大なもので、やがてこれが室町幕府との争乱のもととなる。その争いは鎌倉公方と、その執事である上杉氏との間にも繰り返された。