戦の主力常総南部に移行

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 下総地方の戦国時代後半の状勢は、その主力が次第に、その中部から南部に移行しつつあった。城館の配置状況をみると、西北に古河城、北東に結城城、西に関宿城、そして、南に守谷城の堅塁があった。特に相馬氏の勢力は、猿島の神大実、弓馬田に及んでいたようである。
  多賀谷氏系図
   平家忠(金子十郎)……七代―光義―三代―重政―政径―重経
 関宿、古河方面を戦場とした戦の中心勢力は、北條対上杉、佐竹の攻防戦であった。南部の猿島、守谷地方では、北條の輩下にある相馬氏と、佐竹の勢力下にある下妻の多賀谷氏との一大攻防戦であったが、多賀谷氏の方が常に攻撃的であった。しかしながら、猿島及び守谷地方には、多賀谷の軍勢を一歩も入れなかったので、守谷城では最後まで戦闘はおこなわれなかった。

内守谷城主坂巻図書が着用したといわれる鎧兜・永禄3年の記号あり(図説水海道史)