和田のでぐちのごほえの木、本は稲村、葉は寺田、花は守谷の城に咲く、城に余りて町に咲く。
とあるが、「和田の出口」は、守谷城内の二の丸の出口にあたる所ではないかと推定される。そこは当時「山王」と称していたが、現在、山王神社が祀られているから、「和田の出口」と考えて、まず間違いなかろう。「ごほえの木」は、五本の榎の木とか、又は、高く大きい榎の木であるとか、その説が分かれているようであるが「ごほ」は「こお」に通ずるから高く大きい榎の木と解釈した方が妥当かも知れない。その榎の木は、現在も残されているが、樹齢数百年も経たかと思われる、朽ち果てたという感じの老木である。そして、その榎の木の下に山王神社が祀られている。「本は稲村」とある稲村は、稲戸井のことを指し、「葉は寺田」の寺田は、現在の取手市寺田であって、その榎の木の本は稲戸井までにわたっており、その枝葉は寺田まで届く大きなもので、大変に誇張した表現である。とにかく、この唄をみても、守谷本城を中心として、広範囲にわたって繁栄していたことが、理解されるのである。
守谷城和田出口の榎の木