天正四年(一五七六)正月、多賀谷政経は、相馬氏勢力下の猿島の地を領有するため、古間木城を攻撃した。猿島郡弓田の染谷民部、岡田郡の羽生式部(はにうしきぶ)、相馬郡菅生の横瀬能登守(よこせのとのかみ)などが古間木城に入城し、渡辺周防守を助けたが、このとき、木間木城は落城した。多賀谷勢はさらに進んで相馬郡の一部を略奪した。
古間木落城を知った相馬胤房は、直ちに軍を率いて多賀谷軍と花島に合戦、敵の戦略にかかって敗戦となった。胤房は従兵わずか五〇騎を従えて守谷に帰城したという。
古間木落城と花島の戦