守谷城は守谷町字守谷城内に存在する。本城のあるところは平台山と称し、標高二五メートルの台地が舌状形に突出しており、その台地上に構築されている。この台地の周辺は低地になって、小貝川からの入江が入り込み、現在は水田や湿地になっているが、当時は満々たる水をたたえていたといわれている。また、三の郭にあたるところに舟着場という名称が残されていることから、その当時、ここが舟の発着場になっていたものと思われる。
本城のある平台山は、半島状に突出しており、極めて険しゅんで、地形そのものが自然の要害になっているところである。その舌状台地は半島のつけ根から、本郭、二の郭、三の郭に分けられている。そして、四の郭、五の郭にあたる現在城内と呼ばれるところは、室町時代になってから増築されたものであろう。総体的にみて、その規模は極めて壮大で、相馬家本城の偉容を天下に誇示している。