戦国時代に入ると、急に鉄の需要が増大したので、領主は他領から輸入せずに、自領で製鉄を実施したようである。相馬領内で製鉄を実施したとされるところは、内守谷本郷、菅生の地、大木の須賀家の裏山などで、そこから鉄滓(てっさい)や鉄片等が検出されるのである。原料は鬼板(きばん)と称する付近の地層に含まれる砂鉄と、小貝川や鬼怒川の砂中に含まれる砂鉄が使用されている。
天文年間になると、わが国に鉄砲が伝来し、織田信長は鉄砲で武田の騎馬軍団に打ち勝ち、佐竹氏もこれを導入して、小田氏を討っている。守谷の相馬氏が鉄砲を使用したことについての記録は残されていないが、北條氏は鉄砲を持っていたようである。