農民の意義

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 昭和初期、京都帝国大学教授経済学博士本庄栄治郎氏は江戸時代を「米遺いの経済時代」と意義づけた。それは江戸時代は米をもって経済の基礎としていたからである。例えば農村の生産量を示すのも米の数量をもって表わし、年貢もまた米をもって徴収し、武士の俸禄も米をもって支給するなど、すべて米が貨幣に代わってその効用をなしていたからである。したがって江戸時代の支配階級は、米を生産する農民の力に依存するところ、まことに大なるものがあり、その生産力の消長は直ちに武士支配の封建社会存立の上に、大きな影響を与えることになるのであった。
 我が国は古代、豊葦原瑞穂の国といって、米の生産が豊かであるといわれていた。そのため古代より中世を経て近世に至るまで、国の経済は米が中心になって成立していたのである。
 米はいうまでもなく百姓が作るものである。百姓とは原則的に農民を指していう言葉であるが、元来百姓とは一般人民のことである。それは「ひゃくしょう」でなく「ひゃくせい」と呼び、百姓(ひゃくせい)とは多くの人びとという意味である。論語の憲問篇に「己ヲ修メテ以ッテ百姓(ひゃくせい)ヲ安ンズ」とあり、天下を治める者の心得を説いている。また、昭和の元号の出典となった『書経』の処書中堯典の中に「百姓昭明、万邦協和」とあり、いずれも百姓は多くの人民を指した言葉に用い、必ずしも農民だけを指したものではない。更に、また古代には、人民を「おおみたから」と呼んだこともある。おおみたからとは田を耕すやからの意で、これに漢字を当て大御宝と書いた。つまり農業は国の大本であるから、それに携わる人びとをたたえて国の宝になぞらえた言葉である。このように我が国では古来一部の貴族やそれに従属する少数の人びと以外は、すべて農業にたずさわっていたので、古代中国の文献に見られる百姓(ひゃくせい)を一般人民の意味に用いたのが、ついに農耕にたずさわる多くの農民に転用され、それらをすべて百姓(ひゃくしょう)と呼ぶようになったのである。