この工事は文禄三年(一五九四)に工を起こし、工事の完成したのは承応三年(一六五四)といわれているから、実に六十年の歳月を要したことになる。その間、忠次は慶長十五年(一六一〇)四月、六十一歳をもって没し、工事はその長子忠政によって継続されたが、その忠政もまた元和四年(一六一八)三月、三十四歳の若さをもって没したので、その事業は更に忠政の弟忠治が継ぐことになり、同時に伊奈氏の家職たる関東郡代をも忠政の子忠勝が幼少にして、その重任に堪えないため引き継ぐことになった。かくして利根川の河道東遷工事は伊奈氏二代三世にわたる努力によって、ようやく竣工を見るに至った。思えば北総の一角、西から東へ、悠々として流れている大利根にも、かつてはこのような歴史があり、しかもその歴史の蔭には伊奈氏一族を始め、工事に携わった多くの人びとの血と汗が注がれたのである。いま、その利根川の畔に立ち、過ぎし歴史の跡を振り返り、彼を偲び、これを思えば、感慨ひとしお胸にせまるものがある。