利根川、鬼怒川流域には「アンバサマ」という信仰がある。いまではこの信仰も舟運が盛んであったころとは比較にならないほど衰えたが、それでもなお人びとの信仰をつなぎ、村々の各所に大杉大明神又は大杉神社という小祠が祀(まつ)られ、家々には大杉神社の神符が神棚や軒下などに貼(は)られているのを見ることがある。この「アンバサマ」というのは茨城県稲敷郡桜川村大字阿波(あば)に鎮座する大杉神社のことで、「アンバ」とは神社が鎮座するところ阿波の延音である。この神社の祭神は倭大物主櫛玉命(やまとおおもつぬしくしたまのみこと)という女性の神で、その創建は古く奈良朝時代の神護景雲元年(七六七)といわれ、天下泰平、五穀豊饒(ほうじょう)、疫病諸厄消除などの霊験を現すとされている。それがいつのころか利根水系流域における船頭たちの信仰を集めるようになった。守谷町附近、特に利根、鬼怒両川の流域にあたる高野、野木崎、大木、板戸井ではその信仰が盛んで、大正中期ごろまで阿波村にある大杉神社へ参詣をすることになっていた。それが今では代表者が代参し、お札だけを迎え、それを各戸に配るだけになったという地区もあるというくらい、この信仰も衰えた。いまでこそこのように衰えた「アンバサマ」信仰も、もとは利根水系を舟によって往来していた船頭たちがもたらしたもので、守谷附近に生まれた古来からの土俗信仰ではなかった。このように一つの信仰を取り上げても分かるように、舟運の発達に伴って多岐にわたる各地の文化が輸入され、なかにはそれが定着して、ある場所に独特の文化を形成する根幹となることも少なくはなかった。いまこれを河岸文化の面で見ることにしよう。
利根水系を往来する船頭たちがもたらしたものは、独り「アンバサマ」信仰だけではなく、彼らは各地に起こった事件、また、各地に広まった噂話(うわさばなし)、その他各種の情報をもたらし、それを各地に伝えたので、ある情報によってはそのままその地に定着し、それが一つの文化として成立したため、同じ農村でも異なった社会環境をつくり出すこともあった。その顕著なるものが各河津における水茶屋の出現である。