元来村とは、その起源をたずねれば「群(むれ)」より発生したもので、すなわち多くの人びとによって構成された集合体であるといわれている。そしてその村が一つの集合体として発展する過程において、そこに勢力者が現れ、その勢力者によって統制を受けるようになったのが、村落自治の始まりである。
江戸時代は幕藩体制の確立によって、村の組織が急速に整備された時期である。それはその時代、村は一つの行政単位として位置づけられ、支配階級が貢租収納の効率化を計るため、古来より自然発生的に成立したままの集落を、都合よく支配するように再編成する必要を感じ、一定の基準を設けて新たに作りだしたのが近世の村落である。それには生産高の均等化、地理的条件と住民の同族的結合及び各集落における習俗的共通性を考慮し、それを前提として近隣の各集落を分離又は併合して境界を画定した。この政策を「村切り」といい、近世村落はこれによって成立の基礎を固めたのである。
さて、江戸時代の村はこのような過程を経て成立したが、そこでその村を統制するために指導者を置かなければならなかった。それには最初に勢力者があらわれ、それによって村落自治が始まったと述べたが、新たに指導者を置くことになっても、従来よりすでに勢力者として存在していた者を改めて指導者とする慣習は失われず、多くは旧勢力者が指導者に選ばれ、それが村役人という職分をもって村を支配することになった。ここでいう村役人というのは名主、組頭、百姓代のことで、これを地方(じかた)三役又は村方三役と称し、村落の統制機関として農村社会では重要な機能を果たしていた。