乙子の石神神社祭礼

本来は自然石そのものを祀(まつ)ったものであったというが、それがいつしか子孫繁栄を願う性器崇拝と結びつき、石や木で男性器を形どったものを奉納するようになった。
例祭は毎月ニ十七日で、三月と八月が大祭の月に当たっていた。大祭の日には境内に多数の出店が並び、人々は踊りに興じた。近隣の市町村はもとより、浅草や向島の花柳界の人々も大勢参詣に訪れ、そのにぎわいぶりは語り草となっている。
大正から昭和初期にかけては大いににぎわったこの祭りも、戦前の風紀粛正以来、寂れてしまった。しかし、今でも石下町や結城市など、遠方から参拝に訪れる人もいる。
![]() ![]() ![]() | 石神神社本殿▶平成2年7月25日 |
![]() | 石神神社拝殿▶平成2年7月25日 |
![]() | 明治13年当時の高野村、乙子村、鈴塚村(明治13年作製「迅速測図」から) |
![]() | 昭和22年当時の高野村 |
![]() | 高野地区及び南守谷団地(一部)▶昭和63年1月11日 |