町並みと自然

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①上町通り―八坂神社境内から上町を見る▶昭和9年5月(毎日新聞社提供)

①上町通り―八坂神社境内から上町を見る▶昭和9年5月(毎日新聞社提供)

八坂神社境内から見た上町通り。
②現在の上町通り▶平成2年5月

②現在の上町通り▶平成2年5月

③上町から栄町方面を見る―現常陽銀行守谷支店付近▶昭和30年代中ごろ

③上町から栄町方面を見る―現常陽銀行守谷支店付近▶昭和30年代中ごろ

バスが走っている道路は、大正二年(一九一三)に常総鉄道(現関東鉄道常総線)守谷駅が開設された時に整備された。
④上町から栄町方面を見る▶平成元年11月

④上町から栄町方面を見る▶平成元年11月


 
 
①仲町通り―岩田洋品店付近から上町方面を見る▶大正中期

①仲町通り―岩田洋品店付近から上町方面を見る▶大正中期

現在の岩田洋品店付近から上町方面を望む。道路中央には隊列(小学生か)が見え、国旗が掲揚されているところを見ると、国家行事か何かが行われた日のようだ
②仲町通り―守谷薬局付近から上町方面を見る▶大正中期

②仲町通り―守谷薬局付近から上町方面を見る▶大正中期

タバコの看板は守谷薬局のもの。前方に見える八坂神社の大木の手前にある家屋が玉屋旅館である。続いての黒板塀は、田中家(現世帯主・勲氏)、小林医院である。
③仲町通り―守谷薬局付近から上町方面を見る▶平成元年11月

③仲町通り―守谷薬局付近から上町方面を見る▶平成元年11月

④仲町通り―植田屋付近から上町方面を見る▶大正中期

④仲町通り―植田屋付近から上町方面を見る▶大正中期

野口家(現在東京在住)の土蔵と店舗。野口家は屋号を植田屋といい、米穀、肥料等を扱う豪商であった。
⑤仲町通り―植田屋があったあたりから上町方面を見る▶平成元年11月

⑤仲町通り―植田屋があったあたりから上町方面を見る▶平成元年11月


 
 
①下町新田から下町を見る▶平成2年6月

①下町新田から下町を見る▶平成2年6月

②下町新田から下町を見る▶大正中期

②下町新田から下町を見る▶大正中期

下町から下町新田に通じる旧道で、坂道になっている。レンガ塀は坂本精米所で、その上が現在の江戸屋商店。

 
 
①北園の松並木▶昭和9年4月2日

①北園の松並木▶昭和9年4月2日

町内に残された唯一の松並木。かつてはこのほかに、小山、清水、立沢、大山新田地区に並木があった。
②立沢の松並木▶昭和30年代

②立沢の松並木▶昭和30年代

清水地区から立沢、大山新田地区を経由して鹿小路(現水海道市)に続いていた松並木で「平将門の軍用街道だった」という言い伝えがある。
③守谷城址(し)の二本松付近▶大正中期

③守谷城址(し)の二本松付近▶大正中期

現在地に守谷小学校が移転される前の二本松付近。あたりに家はなく、桑畑が広がっていた。松は昭和五十五年(一九八〇)ごろ枯死し、現在は若木が植えられている。
④城内石神神社の松▶昭和40年代前半

④城内石神神社の松▶昭和40年代前半

樹齢、樹形ともに申し分なく、天然記念物の町指定を受けた名木だったが、昭和五十五年(一九八〇)ごろマツクイムシの害で枯れてしまった。現在中央公民館に幹を輪切りにしたものが展示されている。
⑤守谷沼のほとりの河獺(かわうそ)弁天▶昭和初期

⑤守谷沼のほとりの河獺(かわうそ)弁天▶昭和初期

相馬氏が鬼門除(よ)けとして祀(まつ)ったものと伝えられている。昭和六十一年度に緑化推進事業で公園として整備された。手前の松は、それより前に落雷のため枯れてしまった。

 
 
①守谷沼▶大正中期ごろ_1①守谷沼▶大正中期ごろ_2

①守谷沼▶大正中期ごろ

圃(ほ)場整備が行われる以前の守谷沼の姿。沼というよりは、むしろ水路のようであった。守谷城址(し)に隣接していることから、古城沼とも呼ばれていた。
②守谷沼―河獺(かわうそ)弁天付近▶大正中期ごろ

②守谷沼―河獺(かわうそ)弁天付近▶大正中期ごろ

弁天付近の景観。蓮(はす)がかなり繁茂している。
③圃(ほ)場整備後の守谷沼▶昭和46年

③圃(ほ)場整備後の守谷沼▶昭和46年

圃場整備後の守谷沼。整備前には死滅していた蓮が、どうしたことか、整備後自然に生えてきて見事な花を咲かせるようになった。
④お玉ヶ池▶昭和初期

④お玉ヶ池▶昭和初期

水茶屋「宮乃屋」の女性「お玉さん」がここで身投げをしたため、この呼び名が付いたという。
⑤鬼怒川▶昭和30年代前半

⑤鬼怒川▶昭和30年代前半

鬼怒川滝下の景観
昭和二十五年(一九五〇)五月、守谷城址とともに茨城観光百景に選ばれた。
⑥利根川と鬼怒川の合流点

⑥利根川と鬼怒川の合流点

向かって右が利根川、左が鬼怒川。合流点のやや下流に「我慢(がまん)の渡し」と呼ばれた渡船場があった。