昭和四年(一九二九)十月のニューヨーク株式市場の崩壊に端を発した世界恐慌により、昭和五年(一九三〇)ごろから日本も物価暴落と、大量の失業者に悩まされることになった。殊に現金収入の道に乏しい農村の窮状は惨たんたるもので、例えば生繭一貫匁(かんめ)平均価格がわずか二円五十銭、玄米一石の価格も一年前の二十六円に比べ十五円台を下回る下落ぶりだった。
そんな窮状を打開するため、政府は農村救済事業を全国に展開し、その事業の一つとして道路改修工事を行った。町内にもこの時に改修された道路がある。そのうち特に「失業救済道路」という名称でよばれていた道路もあった。
〈証言〉西二・斉藤藤之助さん
「一日の日当が九十銭だったかなァ。一日の手間としてはかなりの額だったね(当時は白米一升の値段が二十三銭ぐらい)。だけど、村の者みんなが当番で出るから一週間で一、二回かねェ、稼げたのは。そりゃ助かったことは助かったんだけどね」
①かつて失業救済道路と呼ばれた道●滝下 | |
②滝下での道路改修工事▶昭和9年3月 | |
③改修工事前の天神坂▶昭和6年1月29日 ③―⑤失業救済道路―天神坂学校給食センターのある付近は、俗に天神坂と呼ばれ、坂下は東西の高地から見るとかなりの窪地である。しかも両側の樹木が道路に覆いかぶさり、夜間などは通行もためらわれるような所であった。 | |
④改修工事中▶昭和6年3月17日 | |
⑤工事修了▶昭和6年4月27日 |
①和歌山県水害見舞い▶年不詳 水害に見まわれた和歌山県に、守谷町婦人会の方々が救援物資を送った。 | |
②東京オリンピック聖火ランナー●土浦市役所内▶昭和39年 東京オリンピックの聖火ランナー。 | |
③茨城国体炬(きょ)火ランナー▶昭和49年 ③④茨城国体昭和四十九年(一九七四)、茨城国体秋季大会の炬火ランナーと自転車競技。 | |
④国道294号線で行われた自転車競技▶昭和49年 |