服飾

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①斬(ざん)新流行ハイカラ▶明治41年_1①斬(ざん)新流行ハイカラ▶明治41年

①斬(ざん)新流行ハイカラ▶明治41年

日露戦争後、女性の間に通称「ハイカラ」、あるいは「二百三高地」という髪型が流行した。二百三高地というのは日露戦争における旅順攻略戦のとき、敵が頑強に抵抗した堡塁(ほるい)二百三高地に由来する。すなわち、戦後流行した女性の髪型が、その二百三高地のように高く結い上げているので、別称になったといわれている。
②明治末期の女性風俗▶明治42年

②明治末期の女性風俗▶明治42年

右から
銀杏(いちょう)返し・・・主に既婚女性
お下げ・・・中流以上の少女
銀杏返し
束髪
桃割れ・・・少女
丸髪・・・既婚の女性
お下げ

 
 
①女嬬の衣装▶昭和5年_1①女嬬の衣装▶昭和5年_2

①女嬬(じょじゅ)の衣装▶昭和5年

斎藤藤乃さんが女嬬として宮中に出仕したときの服装。右は袴(はかま)を取った姿。
②モボ▶昭和初期

②モボ▶昭和初期

大正末期から昭和初期にかけて、モボ、モガと呼ばれる風俗が一世を風靡(び)した。オールバックの髪型にパイプは典型的なモボのスタイル。
③テニス▶大正末期_1③テニス▶大正末期_2

③テニス▶大正末期

テニスルック
ロングスカートに編み上げの靴。女性がみだりに肌を露出しなかった時代、テニスウェアーも優雅だった。
④スキー▶昭和15年2月

④スキー▶昭和15年2月

竹製のストックや服装が時代を感じさせる。今では大人気のスポーツだが、守谷でも盛んになったのはここ十数年のことである。