石田庄七氏は、自家の所有する郷州原の山林から多くの石器、土器などの埋蔵文化財が出土すると、これを大切に保管するとともに、出土地に発掘記念碑を建立した。時に昭和十九年(一九四四)四月ニ十九日。文化財保護法が制定される昭和二十五年(一九五〇)五月に先んじること六年のことだった。
氏はまた自楽園という建物を建て、文化人との集いを主催し、地域文化の向上に寄与された。
①発掘記念碑と関係者たち▶昭和19年4月 | |
②石田庄七氏 |
斎藤隆三―史学者・文学博士
斎藤隆三氏の功績の第一は、『守谷誌』を著し守谷の歴史や文化を広く知らしめたことであろう。その当時の守谷の文化水準は、高いとは言い難く、近郷の人々に軽んじられる傾向にあった。氏の研究は、そうした人々の持つ守谷のイメージを払拭させるに足るものだった。
さらに氏は、昭和三年(一九二八)ごろ、「守谷歴史絵葉書」を発刊し、守谷の文化財の保護とPRに努めている。
このほかには、横山大観、小川芋銭等と共に「茨城県美術展覧会」の審査員を努めており、姪の一人が横山大観のモデルにもなっている。
③斎藤隆三氏 | |
④小林一茶の句碑建立記念▶昭和28年秋 |