文化財

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①北守谷遺跡発掘現場▶昭和50年_1①北守谷遺跡発掘現場▶昭和50年_2

①北守谷遺跡発掘現場▶昭和50年

北守谷遺跡の発掘風景。常総ニュータウン北守谷団地の造成工事を行うために調査された。
②乙子遺跡全景▶昭和52年

②乙子遺跡全景▶昭和52年

乙子遺跡の全景。場所は現常総ニュータウン南守谷団地内。
③北今城遺跡全景▶昭和52年

③北今城遺跡全景▶昭和52年

北今城遺跡全景。土器とともに住居址(し)が発掘された。場所は常総ニュータウン南守谷団地内。
④文化財公園●みずきの地区▶昭和56年

④文化財公園●みずきの地区▶昭和56年

郷州原遺跡から発掘された「竈(かまど)」が保存されている。なお、他の出土品は中央公民館に展示されている。
⑤発掘中の郷州原遺跡▶昭和53年

⑤発掘中の郷州原遺跡▶昭和53年

発掘中の郷州原遺跡。弥生式土器、土師器(はじき)、須恵器(すえき)に混じって三彩陶器も出土した。

 
 
①滝山古墳群跡

①滝山古墳群跡

現在は畑地にかわり、所在はわからなくなってしまった。昭和二十三、四年(一九四八、四九)ごろ偶然古墳の一基が発見された。地表から深さ約一メートルのところに粘土棺が埋められており、腐触した直刀一振とその他若干の副葬品があった。
②同地古墳▶昭和57年12月

②同地古墳▶昭和57年12月

南側から北に向かって見た同地古墳。副葬品はなかった。
③赤法花の一里塚

③赤法花の一里塚

赤法花地区内の江戸時代に笠間街道と呼ばれた道筋にある(この道は現在は廃道になっている)。常総橋の手前約五十メートルのところの北側で、現在は庚申(こうしん)塚といい、庚申塔のほか数基の石造物がある。
④野目塚ぼっち

④野目塚ぼっち

清水地区内にあり、元は十数基あったが、今は残されていない。明治四十年代に刀と兜(かぶと)が出土したことがあるという。「昔このあたりが戦場になった時、その戦死者の遺体を埋めた所では」とも言われているが、詳しいことは一切わかっていない謎の塚。