守谷町年表

208 ~ 220 / 221ページ
年号 西暦 守谷町のできごと 日本・世界のできごと
明治 21年 一八八八 4月 市制及町村制公布▶25日
22年 一八八九 2月 大日本帝国憲法発布▶11日
大日本帝国憲法発布(共同提供)
4月 守谷町と小山村、赤法花村が合併し守谷町となる/高野村と鈴塚村、乙子村が合併し高野村となる/大柏村と野木崎村が合併し大野村となる/大山新田村、大木村、板戸井村、立沢村が合併して大井沢村となる▶1日 市制及町村制施行▶1日
6月 利根運河通水式挙行(利根運河の開通によって東京から利根川、鬼怒川沿岸にいたる水運が急速に発展した)▶18日
7月 高野尋常小学校創立▶大井沢尋常小学校▶23年5月7日/守谷尋常小学校▶同5月17日/大野尋常小学校▶同9月26日
23年 一八九〇 5月 府県制・郡制公布
11月 第一回帝国議会招集▶25日
25年 一八九二 2月 第二回衆議院議員総選挙で斎藤斐氏、改進党から立候補して当選
26年 一八九三 2月 高野村乙子の地引雄之助氏、製糸工場富総館を創立(このころ各地に製糸工場が興る)
9月 竜ヶ崎区裁判所守谷出張所を設置する
27年 一八九四 7月 日英新通商条約調印(治外法権撤廃、関税率引上げ)▶16日
8月 清国に宣戦布告(日清戦争)▶1日
28年 一八九五 4月 日清講和条約調印▶17日
9月 高野村の岩田荒三郎氏、県会議員に当選する
29年 一八九六 岩田太郎氏、高野村に養蚕講習所を開設する(明治35年、大日本蚕業研究会を結成し、併せて大日本蚕業研究会養蚕講習所を開設)
大井沢村の海老原與兵衛氏、県会議員に当選する
33年 一九〇〇 2月 この年から蒸気船通運丸が東京から水海道まで就航する(大正7、8年ごろ姿を消す)
6月 北清事変▶21日
35年 一九〇二 1月 日英同盟協約▶30日
県下に大暴風発生、ほとんどの学校倒壊する
37年 ー九〇四 2月 ロシアに宣戦布告(日露戦争)▶10日
日露戦争・旅順入城(共同提供)
38年 一九〇五 9月 日露講和条約調印▶5日
43年 一九一〇 4月 軽便鉄道法を公布
8月 県内で大洪水発生(町内の被害は不明) 韓国併合を宣言▶29日
44年 一九一一 2月 日米通商航海条約改正調印(関税自主権確立)▶21日
3月 軽便鉄道補助法制定
11月 常総軽便鉄道株式会社創立(免許おりる)▶1日
45年 一九一二 1月 清国滅亡、中華民国成立▶1日
7月 日本オリンピック初参加(第五回ストックホルム大会)▶6日
大正 元年 明治天皇崩御、大正と改元▶30日
2年 一九一三 11月 常総鉄道、取手―下館間開通する▶1日
3年 一九一四 4月 水海道銀行守谷支店開行(昭和10年、常陽銀行守谷支店となる)▶16日
7月 第一次世界大戦始まる▶28日
8月 ドイツに宣戦布告(第一次世界大戦に参加、日本空前の好景気となる)▶23日
6年 一九一七 このころ鬼怒川の河川改修と右岸の築堤工事完了 ロシア革命
7年 一九一八 7月 守谷町信用販売購買組合創立 富山県で米騒動勃発、以後全国に波及▶3日
11月 第一次世界大戦終結▶11日
9年 一九二〇 1月 国際連盟加入(常任理事国となる)▶20日
5月 尼港事件▶25日
10月 第一回国勢調査実施▶1日
11年 一九二二 12月 ソビエト社会主義連邦共和国成立▶30日
12年 一九二三 9月 関東大震災、家屋の倒壊・人畜の被害はなかったが、流言飛語による人心の動揺はあった▶1日
14年 一九二五 3月 衆議院議員選挙法改正(納税額による制限を撤廃)▶29日
15年 一九二六 12月 大正天皇崩御、昭和と改元▶25日
昭和 元年
2年 一九二七 金融恐慌始まる
4年 一九二九 6月 大井沢村に小作争議発生
10月 世界恐慌始まる▶24日
6年 一九三一 9月 満州事変勃発▶18日
戦時下の一光景
7年 一九三二 5月 5・15事件▶15日
8年 一九三三 1月 ヒトラー内閣成立▶30日
3月 国際連盟を脱退▶27日
10年 一九三五 9月 大洪水発生、家屋、田畑に大きな被害▶26日
11年 一九三六 2月 2・26事件▶26日
7月 西林寺蔵「徳川家康像」、文部省より重要美術品として指定される
12年 一九三七 7月 蘆溝橋(ろこうきょう)事件(日中戦争開始)▶7日
13年 一九三八 7月 8月 大洪水発生、各地で被害が出る
食糧分配
14年 一九三九 9月 第二次世界大戦勃発▶1日
15年 一九四〇 9月 日独伊三国同盟調印▶27日
10月 大政翼賛会発会式▶12日
16年 一九四一 3月 国民学校令公布(4月1日発足)▶1日
7月 大洪水、高野の台川端地区で屋根までの浸水
11月 「岩田太郎翁紀功碑」を水戸市の茨城県養蚕試験場内に建てる
12月 米英に宣戦布告▶8日
17年 一九四二 このころから金属回収が始まった
空襲による焼跡
20年 一九四五 このころから「買い出し部隊」「かつぎ屋」が多く現れるようになった
高野村の民家2軒がB29の焼夷(い)弾の被害を受けた
8月 午後1時30分ごろ、常総鉄道の列車が現在の新守谷駅付近において、敵艦載機の機銃掃射をうけ、多くの死傷者を出した▶13日 広島に原爆投下▶6日/長崎に投下▶9日
ポツダム宣言受諾▶15日
11月 GHQ、財閥解体を指令▶2日
12月 衆議院議員選挙法改正(選挙権、被選挙権の性別制限撤廃、年齢引き下げ)▶17日
21年 一九四六 2月 第一次農地改革実施(これによって各町村に地主、自作農、小作人から成る農地委員会を結成)▶1日
5月 知事、市町村長の公選制実現(22年4月、統一地方選挙実施)
11月 大八州開拓団入植▶10日 日本国憲法公布(施行は翌年5月3日)▶3日
22年 一九四七 3月 教育基本法・学校教育法公布▶31日
4月 守谷町、高野村、大野村は三村連合によって組合立中学校を開設。大井沢村は村長須賀吉之助氏によって単独の中学校が開設された▶1日
23年 一九四八 8月 大韓民国樹立の宣布式挙行▶13日
9月 台風のため利根川が氾濫し、大井沢村、高野村、大野村の流作地帯に浸水し、甚大な被害をもたらす(27年まで毎年水害がおきた) 朝鮮民主主義人民共和国樹立宣言▶9日
24年 一九四九 10月 中華人民共和国成立▶1日
11月 湯川秀樹、日本人初のノーベル賞受賞▶3日
25年 一九五〇 5月 守谷城址・滝下、茨城観光百景に選ばれる
6月 朝鮮戦争勃発(日本では特需景気起きる)▶25日
26年 一九五一 9月 対日平和条約・日米安全保障条約調印▶8日
28年 一九五三 9月 町村合併促進法が公布され、同年10月1日から施行される▶1日
29年 一九五四 5月 町村合併に関し、一町六カ村(守谷町、高野村、大野村、大井沢村、小絹村、高井村、稲戸井村)の第一回代表者会議開催(町長、村長、議会議長)▶9日
一町六カ村で「町村合併促進協議会」を結成(各町村長を含めた各町一〇名、会計七〇名で構成)▶26日
8月 守谷町ほか三カ村が、新町建設計画の骨子となる二五項目の協定事項を決定する▶6日
9月 新町名は公募の結果「守谷町」に決定▶28日
11月 一町三カ村は、それぞれの議会を招集し、一斉に一町三カ村の合併会議を行う▶12日
守谷町ほか三カ村を廃止し、新たに守谷町を置き、3月1日から施行することについて県知事に許可申請を行う▶13日
第五福竜丸事件・荷上げされたマグロ▶昭和29年(共同提供)
12月 旧守谷町議会にて、高井村大字同地区域の旧守谷町編入を議決▶2日
30年 一九五五 1月 一町三カ村の合併について、県知事から認可される▶13日
2月 高井村大字同地が旧守谷町へ編入される▶15日
3月 新しい守谷町の施行(守谷町、高野村、大野村、大井沢村の一町三カ村が合併)/本庁(旧守谷町役場)と三支所(旧村役場)を設置/町議会議員の任期延長(昭和31年2月までの一カ年六〇名)/町長職務執行者は吉田亀次郎氏▶1日
4月 第一回町長選挙で吉田亀次郎氏当選
8月 原水爆禁止第一回世界大会広島で開催▶6日
31年 一九五六 1月 滝下橋竣工(同時に板戸井、大木の渡船場を廃止する)▶27日
4月 国民健康保険、全町に施行される
12月 国連加盟承認される▶18日
国連正式加盟(共同提供)
32年 一九五七 4月 ゴミ収集始める(大字守谷地区)
33年 一九五八 4月 新農村建設特別助成事業始める(小規模水道―乙子・赤法花・向崎第二・西第三の四カ所)
守谷町農協、合併決議される
34年 一九五九 3月 町役場新庁舎竣工式▶20日
高野青年研修所が完成
4月 国民年金制度発足
8月 台風により利根川溢流堤(西大木地区)が決壊し、大きな被害をもたらす▶14日
35年 一九六〇 1月 日米相互協力及び安全保障条約など調印▶19日
4月 役場高野出張所、大野支所、大井沢支所を廃止する
5月 企業誘致条例施行される このころから大衆の安保闘争高まる
11月 関東鉄道常総線南守谷駅開設される
安保闘争・国会前のデモ(共同提供)
36年 一九六一 4月 守谷中学校、大井沢中学校統合される
37年 一九六二 4月 クレノートン株式会社東京製造所操業開始
38年 一九六三 4月 守谷沼周辺の基盤整備によってその一部〇・〇四平方キロメートルが取手市に編入された(町の面積が三五・四七平方キロメートルとなる)▶1日
7月 町立土塔保育所開所される
12月 北相馬郡地区農業構造改善対策協議会設立
39年 一九六四 3月 守谷中学校統合校舎完成
4月 常総衛生組合し尿処理場操業開始(谷和原村小絹地先)
10月 明星電気株式会社守谷工場操業開始 東海道新幹線開業▶1日
第一八回オリンピック東京大会開催▶10日
40年 一九六五 4月 郵政省電波管理局より有線放送許可される
東京オリンピック開催(共同提供)
41年 一九六六 3月 合併一〇周年記念式典行われる
4月 守谷町の町章制定される(公募による。考案者は故小林繁氏)▶1日
6月 首都圏近郊整備地帯の指定を受ける
42年 一九六七 2月 初の建国記念の日▶11日
3月 大井沢小学校新校舎完成
湛水防除事業による大野土地改良区第二機場完成
6月 農林省より人参の指定産地の指定を受ける
8月 稲害虫ウンカ大発生
43年 一九六八 3月 守谷沼圃(ほ)場整備事業八八・七ヘクタール完成
4月 農林省よりネギの指定産地の指定をうける 小笠原諸島返還▶5日
12月 第五回町長選挙で会田源一郎氏当選
この年、全国大学一一六校で学園紛争発生
44年 一九六九 3月 町立学校給食共同調理場完成
7月 米アポロ11号初の月面着陸▶20日
アポロ11号月面着陸(共同提供)
45年 一九七〇 1月 寝たきり老人の家庭奉仕員をおく
3月 大阪市で日本万国博覧会開催▶14日
8月 株式会社前川製作所守谷工場完成する
46年 一九七一 1月 日本住宅公団北守谷団地土地区画整理事業施行区域の計画決定される▶21日
4月 守谷町社会福祉協議会設立される
10月 老人医療無料化開始
47年 一九七二 3月 常総地方広域市町村圏事務組合設立(水海道市、取手市、守谷町、藤代町、伊奈村、谷和原村) 高松塚古墳壁画発見される▶26日
4月 野木崎保育所開所
5月 沖縄の施政権返還、沖縄県本土復帰▶15日
6月 常磐自動車道、守谷町の路線発表される
9月 日中国交回復合意(10月28日、中国からパンダが上野動物園に到着、全国にパンダブーム起きる)▶25日
10月 農業振興地域の指定受ける
12月 簡易水道事業により守谷地区に給水開始
南守谷団地など市街化区域に編入
48年 一九七三 2月 日本住宅公団南守谷団地の土地区画整理事業施行区域の計画決定
3月 守谷町社会福祉協議会法人認可
10月 石油ショック起きる
この年、狂乱物価始まる
49年 一九七四 10月 常総地方広域市町村圏常総環境センター(ゴミ焼却場)操業開始
簡易水道給水区域拡張(原、北園、松ヶ丘、若松町、天神、岩町)
12月 守谷町の木、花、鳥が選定される/守谷沼周辺の基盤整備によってその一部〇・〇一平方キロメートルが取手市に編入された(町の面積が三五・四六平方キロメートルとなる)▶25日
50年 一九七五 1月 守谷町公共下水道計画決定される
3月 守谷町合併二〇周年記念式典挙行
常総地方広域市町村圏老人福祉センター(白寿荘)開所される
5月 守谷小学校新校舎完成
51年 一九七六 1月 守谷町人口一万五千人を越える
3月 高野小学校新校舎完成
6月 守谷町振興計画が議会で承認される
7月 ロッキード事件で田中前首相逮捕▶27日
52年 一九七七 3月 高野土地改良区圃(ほ)場整備事業竣工
ロッキード事件で田中前首相逮捕(共同提供)
4月 北園保育所開所される
常総広域消防守谷出張所発足する
8月 高野にある運輸省東京航空局の無人管制塔が発火物により被害、南守谷地区、高野地区の送電線が一部切断される▶6日
9月 常総広域運動公園野球グラウンド竣工
10月 常総広域消防守谷出張所庁舎竣工(南守谷団地内)
53年 一九七八 1月 公共下水道管渠工事開始
2月 大野小学校新校舎完成
3月 大柏地区圃(ほ)場整備事業完成
4月 公共企業守谷町水道事業設置される
板戸井、川西地区簡易水道給水開始する
5月 郷州原遺跡(現みずき野)発掘調査始まる 新東京国際空港(成田)開港式▶20日
開港された新東京国際空港(共同提供)
8月 日中平和友好条約調印▶12日
9月 第八回町長及び町議会議員補欠同時選挙が行われ、大和田仁氏町長当選
54年 一九七九 1月 南守谷特定土地区画整理事業が認可される この年、第二次石油ショック起きる
4月 黒内小学校開校▶1日
東京サミット開催▶昭和54年(共同提供)
7月 森林公園開園
8月 市街化区域及び市街化調整区域並びに用途地域の変更(みずき野地区を市街化区域に編入)
55年 一九八〇 4月 新大利根橋有料道路開通(守谷―流山線)
7月 常総運動公園プール竣工式
9月 守谷町観光協会発会式行われる
56年 一九八一 4月 守谷浄化センター通水
守谷町中央公民館竣工式▶25日
守谷町土塔中央保育所開設
常磐自動車道開通(谷田部―柏間)
8月 台風により利根川溢流堤(西大木地区)が溢水し、被害を受ける
57年 一九八二 3月 常総線新守谷駅営業開始
4月 御所ヶ丘小学校開校
北守谷団地・みずき野団地入居開始
5月 茨城県企業局利根川浄水場通水式
北守谷団地街びらき
6月 人口二万人になる
8月 台風一〇号により溢流堤が溢水し、西大木地区及び台川端下が被害を受ける
町議会、西大木住民に住居移転に関する要請書を提出▶17日
9月 台風一八号により溢流堤が溢水し、西大木、台川端地区で床上・床下浸水(五一世帯)の被害が出る
12月 常総線寺原駅―新守谷駅間複線化される▶8日
58年 一九八三 4月 郷州小学校、愛宕中学校開校▶1日
県立守谷高校入学式(第一回)
5月 常総線南守谷駅―新守谷駅間複線化される▶31日
11月 守谷町空き缶回収に関する条例施行
59年 一九八四 7月 常総地方広域市町村圏事務組合消防本部守谷消防署竣工式▶10日
8月 第二常磐線建設促進期成同盟会発足▶10日
11月 常総線新守谷駅―水海道駅間複線化される▶15日
60年 一九八五 1月 守谷郵便局新局落成記念式典▶26日
3月 合併三〇周年記念式典行われる▶1日 国際科学技術博覧会「科学万博つくば’85」開催▶16日
合併三〇周年記念文化講演会開催▶10日
第二次守谷町振興計画、町議会で議決される▶15日
4月 御所ヶ丘中学校開校式▶8日 専売公社、電電公社民営化
文化会館オープン
日航ジャンボ機墜落▶昭和60年(共同提供)
科学万博守谷町の日催事▶20日
6月 台風六号の影響で新大利根橋有料道路が冠水▶30日~7月1日
7月 大利根運動公園も冠水▶1日~3日
常磐新線が運輸政策審議会で答申される(東京駅―守谷町南部)▶11日
8月 北柏駅行路線バス開通祝賀式典▶26日
11月 北守谷団地竣工式(立沢公園前広場で実施)▶13日
故岩田太郎翁の紀功碑を高野小学校正門左脇に移転▶21日
常磐新線守谷ターミナルとまちづくり懇談会設立▶29日
12月 守谷町庁舎建設委員会が発足▶2日
61年 一九八六 4月 国鉄分割・民営化
6月 水道事業竣工式▶3日
三井物産若王子氏誘拐▶昭和61年(共同提供)
7月 西谷津公園斎場(仮称)の都市計画決定(取手市大字市之台地区)▶30日
8月 台風一〇号による豪雨で河川が増水(床上・床下浸水二軒、道路損壊・農作物冠水五一・三ヘクタール)▶4日~5日
62年 一九八七 3月 '87常磐新線とまちづくりシンポジウム及び守谷町常磐新線建設促進大会開催▶10日
大韓航空機爆破事件起こる▶昭和62年(共同提供)
4月 北守谷ショッピングセンター(ユニー)オープン▶3日
常総線南守谷駅移転▶6日
守谷児童館オープン▶6日
10月 守谷町工業団地土地区画整理事業を町が事業主体で実施▶1日
63年 一九八八 2月 都市計画変更案の作成に関する公聴会、中央公民館で開催(守谷東住宅団地と守谷町工業団地の市街化区域編入等)▶16日 青函トンネル開通▶16日
3月 川西地区の水道を守谷浄水場からの配水に切り替え▶1日 瀬戸大橋開通▶1日
全行政区域が国土利用計画法に基づく監視区域に指定された(地価抑制策として)▶1日
4月 取手都市計画道路取手西口北守谷線の愛称が、公募により常総ふれあい道路と名付けられた▶8日
常総ふれあい道路開通記念式典及び開通記念町民マラソン大会実施(五〇八名参加)▶10日
5月 リハビリテーション開始一五周年記念式典▶22日
町庁舎建設委員会が新庁舎建設用地として下ヶ戸地区の町有地を答申▶23日
南守谷団地等の町名・地番が変わる▶31日
6月 「守谷町役場の位置を変更する条例」議決▶18日
8月 守谷東特定土地区画整理事業と守谷町工業団地土地区画整理事業の都市計画決定▶29日
9月 久保ヶ丘郵便局がオープンする▶16日
町の人口三万人突破▶27日
アイディア・モニター制度創設
10月 南守谷特定土地区画整理事業竣工式▶19日
守谷町工業団地土地区画整理事業の県知事認可▶22日
守谷町体力つくり運動推進協議会が、第三〇回健康・体力つくり運動推進全国大会で「体力つくり国民会議議長賞」を受賞する▶29日
12月 守谷東特定土地区画整理事業の県知事認可▶12日
守谷町町村制施行一〇〇周年記念誌編さん委員会発足▶26日
64年 一九八九 1月 昭和(裕仁)天皇崩御▶7日
平成 元号を「平成」と改めた▶8日
元年 3月 守谷町福祉集会所オープン
盧韓国大統領来日・国会で演説▶平成2年(共同提供)
4月 町村制施行一〇〇周年▶1日