「守谷志」復刻版の発行に寄せて

 守谷町の誇る文学博士・斎藤隆三先生は、明治三十三年東京帝国大学(現東京大学)在学中に「守谷志」を草稿され、関係者の御批判を乞うたと言われています。守谷を愛する多感で夢多き文学青年が、生家や旧家の古文書、資料をつぶさに調べ上げここに"守谷志"が誕生したのであります。
 斎藤隆三博士生家(現当主で三十代)は三百有余年をさかのぼる事、江戸時代中期、代々徳左衛門を称し、関宿領遠野郡二十八ヶ村の大庄屋として久世大和守家中斎藤徳左衛門の苗字帯刀を許され年始に登城して君公に御目見得を許されたと伝えられています。著者は十二代徳左衛門・為親の三男として明治八年に守谷の地に生を受け、成人後は横山大観と親交を深め"五浦"を拠点にする岡倉天心の日本美術界に大きな影響力をもたらしたのであります。
 先生の著書には守谷志の外に明治三十八年「元禄世想志」明治四十一年~大正九年「三井家呉服事業史稿本」昭和二十四年「改訂・増補守谷志」更に昭和三十年新春「史郷守谷」を発行されたのであります。この「史郷守谷」は、守谷志が青年時代の書に対し、晩年に郷土の人々に判り易く書かれたものでありまして、今回は"守谷志"と共に復刻版として発行するものであります。
 かくも尊い文献を残された斎藤隆三文学博士に深く敬意を表するとともに守谷志が後世にまで語りつがれていくものと確信する次第であります。末尾にはなりましたが、斎藤家(斎藤一彦氏)の御好意により百周年記念事業の一環として復刻版を出版する機会を得ました事に深甚なる謝意を表するものであります。

「註」

 今回の「守谷志」「史郷守谷」は文献として或いは文学的に貴重な資料でありますので出来うる限り原文に忠実に稿正をして居ります。従って当用漢字以外も使用して居り、難解な表現等もあろうかと存じますので念の為申し添えます。
平成二年十一月
守谷町長 大和田仁