目次

槪説 …一
沿革 …三
 一 先史時代 おのつからなる生活適地 …三
    人類棲息の適地、貝塚及遺品 
 二 上古の世 隨處に觀る古墳と其の遺品 …五
    多數古墳の散在、遺品の發掘、濁木舟の發掘 
 三 相馬郡及相馬郷並守谷の地名 …八
    郡名の初見、さうまの語原、相馬庄の稱、守谷の名稱 
 四 平將門居館 事實と傳説 …十三
    將門記、將門及家系―相馬御厨の下司、居住地、源護等との私爭並良兼等との鬪爭、藤原玄明との爭、將門異志、其實情、京都朝廷の狼狽、神佛祈願、將門最後、その本貫、假宮建設説、猿島郡と相馬郡、各書の記事、守谷城址の檢討 
    各地に散在せる將門關係の傳説遺蹟 …四三
    荒ぶる神、妙見八幡、國王大神、成田不動、神田明神、將門首塚、其他 
 五 相馬氏の居城 四百年地方の雄 …五七
   一 師常以前 …五七
   二 師常及其後 …五九
   三 兩相馬家分立 下總相馬と奥州相馬 …六二
      重胤の奧州落、永仁分散系圖、四郎左衛門忠重、春日顯時入城 
      太平記の記事 
   四 戰國時代の相馬氏及守谷城の地位 …六七
      古河公方援護、公方義氏移居の準備、附近の一族 
   五 相馬氏の末路 …七五
      淺野長政等の檢地、五千石の旗下 
 六 土岐氏居城 東國の要衝 …七七
    土岐定次受封、城下の擴張、定義轉封、賴行再度受封 
 七 堀田備中守正俊居城 後年幕閣の重臣 …八三
    守谷領一萬石、守谷町物成、正信一時蟄居の處 
 八 酒井河内守忠擧所領 四代将軍の側近、宛然たる權要 …一〇〇
    寬文十年初入部、寬文檢地と天和物成 
 九 關宿領編入 牧野氏から久世氏 …一〇七
    牧野氏領から久世氏領、享保元文頃の戸數人口、相馬三千石、猪鹿棲息、取手宿助郷問題、立澤入會地問題 
一〇 江戸後半期の守谷 地方文化の小中心 …一二〇
    文人墨客の來遊、俳人一茶と守谷俳壇、狂歌、幕末當時の町の状況大庄屋 
一一 明治以後の推移 …一三四
神社佛閣 …一三六
 一 神祠 …一三六
    八坂神社、愛宕神社、正八幡宮 
 二 佛寺 …一三九
    西林寺、長龍寺、永泉寺、雲天寺、淨泉寺 
 三 廢祠廢寺 …一四六
    妙見八幡宮、西福寺、光明寺、觀音寺、妙覺院、西福寺、不動院及德寶院、夷社、大日堂、天神宮、山王宮、獺辨天 
 四 附隣の社寺 …一五〇
    相馬惣代八幡宮、海禪寺、禪福寺、龍禪寺、高源寺 
古跡 …一五六
    守谷城址、郷州原、妙見曲輪、番場、糺森、二本松、城張二十五軒、清水門、右近道、九左衛門屋敷、御茶屋下、淨圓寺、法華坊、河獺辨天、陣屋跡、足輕町、新屋敷、宿畑及本宿、桔梗塚、岡不知、將門山、下高井城址 
文學 …一六八
 一 守谷の地の詠嘆 …一六八
    一茶我春集、一茶七番日記、化六菴記、相馬覽古、總常日記 
    相馬日記 
    大沼枕山、織田鷹洲、野村素軒 
 二、守谷在住のものゝ詩歌 …一八四
    齊藤吉高、化六庵鶴老、齊藤若雨、一盃亭數盛、司耕、野英、九皐、太山、三厚、松人、寸風、千萩、西林寺寬山、長龍寺鷺月、渡邊敏矩