字愛宕に在り愛宕一町の鎭守である。傳に平將門が京の愛宕に擬して勸請したものとあるが徴證はない。近年まで在つた社殿は元和七年土岐内膳介の寄進經營で六間四面、雄渾な彩色彫刻も施され拜殿には花鳥画の格天井も揚げられ壯觀を示したものであつたが、大正二年に燒盡した。社頭には元和七年土岐家々老井上九左衛門奉納の鍔口が弓られてある。刻銘に次の文字がある。
(表)
愛宕山
下總國相馬之郡森屋郷 別當什藏院
大旦那 土岐内膳介
御内 井上九左衛門 同 加藤久太夫
干時元和七年辛酉霜月廿四日
(裏)
内森屋郷 大工 小磯新左衛門 相吉
明治以前は神域に隣り光明寺といふ別當寺があつた。それは此にいふ什藏院の後か否か不明である