沼崎山松樹院永泉寺

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 沼崎の山林内に建つ。天正六年下總二十四輩の名刹報恩寺八代澄西上人が多賀谷修理太夫の壓迫を受け、亂を避けて此に隱退したのが中興開基としてある。東本願寺に屬し、慶安二年十一月將軍家光から三石五斗の朱印地を寄せられてある。境内山林を合せ六万餘坪を以て明治維新に及んだ。元文四年二月十六日に燒亡した建物は次の通りに注進覺に記るされてある。當時の規模を知り得る
客殿 七間四面
庫裏 竪七間半
横四間半
書院 竪五間
横二間
壹所 横四間半
横四間
添屋 竪四間
横二間

江戸時代公儀年頭登城は七年目の格式であつた。
 梵鐘は明和四年の鑄造であつたが、明治初年に已に失はれた。